散歩一つをとってみても、展開方法を考える人はいるものだ。散歩をする時には「あるく、みる、きく」が大事だという。「あるく」「みる」は言われなくとも理解はできるが、「きく」は何だろう? 街の状況を自分の耳で感知するということなのだろうとは思う。
目的のない散歩というのは、どうにも合わない。いや、できないというべきだ。何が面白いのか、さっぱり理解できぬ。本にしてまで訴える人がいるのだから、実行してみる必要はあるはずだ。散歩なんだから「あるく」は当然、「みる」も建物のデザインに変化があるから刺激はある。問題は「きく」。地域によっては「シーン」とし過ぎているぞ。
本を出版するとなれば、出版社だって売れるという確信が必要だ。それでもヒットしないのが大部分といえる。散歩の「あるく、みる、きく」の中でも、「きく」という行動には練習も必要だろう。どうすれば鍛えられるのかね。う~ん、むずかしいものですな。
2025-11-06
散歩には「耳」も重要だって?
2025-11-05
生成AIはなんでもできるが……
米国の住宅地。赤ちゃんが庭に面したベランダで遊んでおり、そばでは飼いネコがまどろんでいる。そこへ入り込んだのが野生のクマ。赤ちゃんを鼻先でつついた時、フギャーとネコがクマに襲いかかる。そんな動画を見たことがあるかな? 大部分はAI創作という。
ChatGPTなどで制作した記事は以前から問題となっていた。それらしい文書を制作することができるからだ。今では動画だって作れる。もはや、何が真実なのかは不明なのだ。先日も共同通信が防犯カメラの画像を向上させるどころか、一部を改編して配信したものだから問題となった。何が真実なのか見抜くことは、ますますむずかしくなっている。
米国の大学で、教壇で教授が泣きわめいている映像がFacebookの載っていた。原因は、学生がレポートを生成AIで作っていたことがバレたからだ。簡単に見抜けるらしい。なお、この記事は生成AIで作ってはおらぬ。もっと〝まとも〟な主張になっているはずだからね。
2025-11-04
瞑想のスタートは「小周天」
瞑想を行ないながら、「小周天」を実行する。小周天とは、上半身だけに気を回すことだ。もちろん最初から上手くいくはずもなく、2週間ほどして〝なんちゃって小周天〟ができるようになった気がする。最初の1年間は失敗ばかりというのも当たり前なのだ。
頭のてっぺんから顔、胸、腹、へそ、尾てい骨と体の前面に気を回す。そこから背骨を通って、再び頭のてっぺんにもどる経路だ。検索するのも良い。それよりは瞑想関連の本を読んだ方が理解も早いだろう。むかしから知ってはいたが、なん10年かぶりに思い出したきっかけは、スティーブ・ジョブスくんの座禅や瞑想に関する記事を読んだからだな。
「大周天」の手法もある。小周天が上半身なら、大周天は頭から足までの全身に気を回す。上を目指しても簡単にはできないから、一つひとつのステップアップが必要だね。ところで、ジョブスくんのきっかけはなんだったのだろう? 他人のことはどうでも良い。