2022-03-31

超えねばならない「魔境」の世界

 座禅やヨガをやっている人なら分かると思うけど、ある程度まで瞑想を練習していると超えねばならない壁が出てくる。厄介なのは「魔境」の世界だ。ここに引きずり込まれると、いわゆる幻想が浮かんできて、己が超脳力者になったような変調をきたすことがある。

 魔境の世界に、オレ様も引きずり込まれたことがある。瞑想の練習をしていて熟達してきたとき、室内は暗いのに、○○が見たいと思うと目の前に出現するのだ。昼間の世界のように……。これは怖い。当時は解決策が分からなかったのでやめてしまったのだ。

 解決方法は幻想を相手にしないことだが、当時は分からなかったので、おかしなヤツと思われていたことだろう。何年も経ったいま、また瞑想の世界へ飛び込んでみることにした。指導者がいるわけではないので、日誌さえあれば魔境を乗りこえられるようだしね。

 日誌の必要性がきちんと書かれていたのに、なぜゆえに手を付けなかったのだろう?

2022-03-30

1859年の初版本

 1859年、生物学者ダーウィンが著した「種の起源」。あまりにも有名だが、なんとその初版本が残っているらしい。当時の初版本だからスペルミスがあったり、図や巻末リストには日付もあるというから驚きよ。いまは博物館で展示されているんだってさ。

 いまの時代、ほとんどパソコン文書だから修正も簡単だ。でも校正を重ねたところで、やはり見落としというのは出てくる。種の起源も版を重ねるごとに修正されているらしいから、ダーウィンくんも読み直しや他者からの指摘でこまめに修正していたのだろう。

 日本でいうなら、そのころは幕末時代。書き写し、木版印刷などが主流だった時代だろうから、修正も容易なことではなかったはず。それを考えると、さまざまな出版物の歴史を調べてみるのも、ヒットするかどうかは別として面白いかもしれん。と、思うだけ。

 むしろ「種の起源」をもじって、「○○の起源」というものを著したら売れるかな?

2022-03-29

書いたら音読3回

 チビッコたちの学習塾を展開している主催者が作文のコツとして、書いたら「音読3回」を心がけようと言っておった。書いた後に音読するというのは、ノーベル文学賞受賞者のオッサンもやっていたので、なるほどと納得するけど、とにかく面倒なものだ。

 賢者たるオレ様も、音読を心掛けている。でも音読するのは1回だけで、とても3回もやっておれん。ここは初心に返るべきだと思うけど、とても3回は無理。基本的には第三者に読んでもらって、さまざまな指摘を受けて書き直した方が早いというものよ。

 某新聞社にいた本田勝一くんも、自分で読んでいると間違いを見落としやすいといっていた。それも何回か読み直していたにしても、このあり様だ。上をみればキリがないわけで、ここはオレ様のようにポヤ~ンとしているか、開き直るしか手段がないのだった。

 誰だったか忘れたけれど、他人様への指摘は簡単、作者が一番大変と言っていたしね。

2022-03-28

地震記事のストックはやめた

 全国どころか、世界のニュースでも日本の地震頻発は有名なところ。オレ様の地域でも東日本大震災があった。過去から何回も地震関連記事のスクラップを行なったり、やめたりを繰り返しているが、キリがないので本気でやめることにした。もう手は出さんぞ。

 先日発生した台湾地震記事がきっかけだ。台湾から沖縄、奄美大島あたりの太平洋側区域が警戒域として、観測を続けるという。寺田寅彦くんのいうとおり、地震は忘れたころにしかやってこない。また研究者でもないので、過去の記事が役立つ保証は何もない。

 だいたいにおいて、地震を警戒したところで明日起こるかもしれないし、東日本大震災のように数百年単位というものもある。先般も地震があったけど、東日本大震災の余震だってさ。本震はもう10年前の出来事だぞ……。地震には、歴史のお勉強も必要だな。

 研究機関は膨大なデータを保管していようが、その検索手法はどうなっているのだ?

2022-03-25

カレーうどんの教訓

 諸君らだって、たまにはカレーうどんを食することもあるだろう。家で1人前ほどのカレーうどんが残っていたので、これ幸いとばかりに食することにしたのだ。しかし、カレー、うどん共に多く残っていてドンブリからこぼれ、後の掃除が大変だったのだ。

 清掃も手間取ったので、盛り付けたカレーうどんも少しは冷えたかなと思っていた。でもカレーの熱は意外にも残っていて、今度はハフハフしながらで食べるのに手間取ってしまった。恐るべしカレーうどん! 時間がないからといって簡単には食べられない。

 昔の話になるけど、ある講習会の講師をしていた時だ。昼休みに他の講師とともにそば屋へ入り、講師の一人はカレーうどんを頼んだのだが、「熱くて食うのに時間がかかる」と泣いていた。時間が限られているとき、カレーうどんを頼んではならないと学んだ。

 カレーうどんの教訓がよみがえった……。人間は同じような失敗を繰り返すものよ。

2022-03-24

演説の締めは「栄光あれ」

 世間のニュースを独占しているウクライナ大統領のゼレンスキーくん。なるほどヨーロッパの大統領らしく、演説の締めは「○○に栄光あれ」というものだった。演説のみならず、オレ様もチビッコのころ同じセリフを各種行事の最後に述べていた記憶がある。

 ボーイスカウトに入っていたので、なんらかの行事の最後は「イヤサカー」と声を張り上げていた。漢字で表記するなら「弥栄」。Wikipediaで調べてみれば「栄える」という意味で、万歳などと同じようなもの。ここでもボーイスカウトの例が記載されていた。

 そのボーイスカウトの歴史をたどれば、イギリスが発祥の地。日本に導入されたとき、「栄光あれ」という掛け声は「弥栄」と翻訳されたのだろう。ゼレンスキーくんの「栄光あれ」という演説の締め言葉は、時と場合によるけれど普通に使われるのかな。

 オレ様の場合、使うシーンを考えておかぬと「キザな野郎だ」と石を投げられるかな。

2022-03-23

いったい「昭和」ってなんなのだ?

 ときどきマスコミはもちろん、ネット上でも「懐かしの昭和」といった記事がある。なつかしの明治、大正などと言わぬのは、昭和時代に生まれた人が多数いるからだろう。それはいいとして、この昭和をタイトルにした〝昭和的なもの〟とは何を指すのかね。

 テレビやラジオでは、ときにフォークソング特集とか70~80年代ロック特集という番組を放送している。また、なんでも鑑定団では、昭和時代の物品が出品されているわけだ。昭和の時代に作られたものというなら、第二次大戦前の物品だって該当するではないか。

 オレ様だって、古いものを見ればほほう~と思う。レトロブームといったところで、昭和の時代を背景としたものではないので、昭和の規定とは何なのだろう? 昭和にうまれたものを指すのなら、戦前のものだって昭和という前置きが付くのではないのかね。

 面倒至極だな。「昭和」とは歴史のひとこまだから、どう扱うかはその人による。

2022-03-22

現代のカセットテレコを入手する

 先週末だが、Amazonでポータブルのカセットテレコを買ったのだった。中国製などではなく、そこそこ名の知られたメーカー製品が良く、しばらく前に復活していたaiwaのTR-A30Bなる製品。ラジオも付いていて、持ち歩きもできるので活用範囲も広くなる。

 いまどきカセットテレコか、と笑う者もいよう。それでもよい。というのは趣味の分野で自分専用のテープを作成するからで、いまはそのシナリオを作成中なのだ。録音時間は30分間で、何回か作り直す必要もあるし、後にはバージョンアップ版も必要となる。

 現在ならボイスレコーダーが主流だろう。しかし、失敗したときのことを考えると容易に手が出せなかったのだ。ラジオ付きカセットテレコなら、失敗したとしてもポケットに入れて移動しながらラジオを聞くこともできる。まあ己が納得しているかどうかだな。

 レトロ製品というなかれ。活用方法次第では、いまだカセットテレコが主流なのだ。

2022-03-18

「絶滅危急季語辞典」なんてあるのか?

 新聞には面白い記事が載っており、先日も「『絶滅危急季語辞典』によれば~」などという文章を見つけた。そういえば季語を使ったような記事をあまり見かけていないし、そもそも現代は季語で表すような環境ではなくなっていることにオレ様も気がついていた。

 いまだに保管している文章の書き方というむかしの本を見てみると、歳時記は持っておけなんてことが書いてある。オレ様には関係ないやと思い、入手することはなかった。そもそもお仕事や趣味で季語を使う場面はゼロ。教養の問題だと言われてもねぇ……。

 むかしの小説や記事などで気象現象に触れているような場合、季語が出てくるケースもある。また手紙の書き方なんて本も持っているが、いまや本棚の隅でカビまみれになっているに違いない。俳句や短歌などの趣味を持っていれば別だろうが、そんな趣味はない。

 絶滅危急季語などという辞書まであるとは思わなかった。世の中は動いているのだな。

2022-03-17

花粉症のシーズンだなぁ~

 言っておくが、オレ様は花粉症ではない。しかし春のシーズン到来ともなると、花粉症用のマスクをしたランナーも増えてくる。コロナ対策用のマスクではなく、花粉症対策用のマスクをしたランナーが散見されるので、ご苦労なことよと思ってしまうのだ。

 ネット上には花粉症の原因に関する記事がたくさん見られるけど、解決する方策に関する記事はあまりない。スギの植林によるものだというのなら、なぜ雑木林のように各種木々が混在するような植林をしないのだろう? 植生サイクルというはむずかしいものだ。

 むかしの広告コピーに「もとから叩かねばダメ」なんてのがあった。そのセリフのように、花粉症の原因がスギというなら、豊臣秀吉が行なった吉野山の花見のように他の植生への変更を実行すればいいと考えるのだが。金も時間もかかるから、無理なのだろう。

 オレ様が生きているうちに展開できたとしても、効力を目にすることはできんな。

2022-03-16

アウトプットへのネタ(ヒント)

 あるミュージシャンが、「インプットできていないのにアウトプットはできない」と嘆いていた。なるほど、自分が動かなければ新しい話題は入ってこないし、こうした各種ネタがなければ新曲も生まれてこないのだな。コロナ禍でミュージシャンも大変だ。

 作家だってヒントがなければ、新作も生まれない。新聞記者だって、話題がなければ記事も書けない。上記のミュージシャンは、まだまだ経験不足といえるのではないかと思う。そんなときにヒントとなるのは、エジソンくんの失敗を重ねるという発明のテクニック。

 誰でも最初から大作品なんか造れるわけがない。たとえば「失敗図鑑」のように、歴史に名を残すような人たちだってたぁ~くさんの失敗を重ねているのだ。まあ失敗関連本はタイトルに書かれていなくとも、あらゆる書籍カテゴリーの中に記載されている。 

 失敗経験があるから名を残せる。誰でもあるんだから、心配すんなってことだな。
 

2022-03-15

箇条書きや番号付けのスタイル

 文書を書くのに、ほとんどの者はパソコンを使っていることだろう。その場合、箇条書きや番号付けを行うときは、どんな記号を使う? 123といった番号付け、ABCなどのアルファベット順などはともかく、イロハといった順番法を使う者などいるのだろうか。

 オレ様が使っているLibreOffice、Writerを見れば、この番号付けの手法としてイロハがある。使う者などいるのかなと疑問に思っていたが、古典研究者や関連する世界で生きている人にとっては使って当たり前なのだろう。そうなれば削除するわけにもいかない。

 もうひとつ疑問に思っているのが、ⅠⅡⅢといったローマ数字の表記だ。ちょっとなら問題はないが、数が多くなってくると順番が分からなくなってくる。これとてイロハと同じように使う人が多いから残してあるのだろう。文化とは多様なものなのだなぁ~。

 特別な使い方には、あまり触れたことがない。きっとオレ様が知らないだけなんだ……。

2022-03-14

やっと読み終えたケインズの「一般理論」

 大学時代にケインズくんの「雇用、利子および貨幣の一般理論」を原書で読まされた。内容を理解するというより授業で訳を割り当てられるので、英和辞典との格闘が主だから、内容なんてさっぱり頭に入っておらぬ。いまは山形浩生くんが翻訳、公開している。
https://cruel.org/econ/generaltheory/

 ケインズ理論といえば確かに有名だし、今でも通用する項目もあるらしい。山形くんはタイトルの〝貨幣〟の部分にこだわりがあるらしく、そこは「お金」としたんだって。訳者のこだわりが、内容までオレ様にも理解できるかといえば、さっぱりよく分からん。

 しかしだ、古典経済理論は己の主張がメインのようで、現実どおりに通用せぬ部分には触れていないらしい。なるほど経済の動きは生き物みたいなものだから、ベーシックな部分を除けば変化も著しいのだろう。なぜ大学生当時、翻訳本が見つからなかったのかな。

 以前、10時間でわかる経済理論なんてのも読んだが、いまだに読み切っていない。

2022-03-11

タイムカプセルの開封時期

 むかし大阪で万国博覧会が開催されたとき、いろいろなモノを詰め込んだタイムカプセルが埋められた。確か50年を経過したとき、中身の腐食状況を確認するため1個は開封されたと記憶している。あまりにもふる~い話なので、記事内容など憶えちゃいない。

 今月は卒業式シーズンだから、中学校の卒業式でタイムカプセルを埋めたという1970年代のなつかし写真が新聞に掲載されていた。30~40年経過して、いまでは時にタイムカプセルを開けてみたという記事も散見されるわけだ。40年ほどで開けるものだろうかな?

 では何年間に渡って埋め込んでおくのが適切かといえば、正解はあるまい。新聞社のストック記事や写真だって、取り上げるタイミングってもんがあるはず。正解のないことがらを考えるのは、たぶん単なるアホか超天才のどちらかだ。まさに人知を超えるのだ。

 オレ様はチビッコ時代から賢者なので、己が作ったタイムカプセルを数日で開封した。

2022-03-10

「3分間」の動画編集

 YoutubeはもちろんFacebook、Blogなどでも動画が満載だ。オレ様も見るのだが、その再生時間が長いのであきてくる。あきてくるからこそ飛ばして見ることになるになるのだから、制作者も少しは動画の不要部分をカットするなどの編集をしてくれよなぁ~。

 映画のように前ふり部分があるのも当然だが、とにかくネット上の動画は長すぎる。そこでオレ様は3分間スピーチならぬ「3分間動画」を訴えたい。ポイントを絞り、ストーリーを作れ。とまぁ同じようなことは何年も前に書いた記憶があるけど、変わらんな。

 ある政治家のオッサンに「挨拶は3分間スピーチのように短く」とお願いしたことがある。さすがは政治家のオッサン、3分間前後で話をまとめたのだ。一般人の場合の難点は、紙に書いて練習をしないと話をまとめきれんことだな。オレ様も練習したことがある。

 動画の場合、ストーリー上の流れもあるから簡単ではない。頭も使わねばならん。

2022-03-09

テキストエディター「TeraPad」

 かなり昔からテキストエディターといえば「秀丸」を使ってきた。ネット上に公開している日記などのテキストは、この「秀丸」で下書きをしているわけだ。テキストエディタ―は他にもたくさんあり、「TeraPad」も念のために一応はインストールしてある。

 気分を刷新するためには、ちょっとこの「TeraPad」を使ってみようと思ったのだ。まずは新たなバージョンが出ているかどうかチェックすると、2012年以降はアップバージョンもない。特殊な使い方をしているわけでもないので、従来どおりでよさそうだな。

 今回の日記は「TeraPad」で書いている。使う側の気分が変わらないのは、テキストエディターはシンプル操作が一番なので、どのソフトを選ぼうが大きな変化はない。まあ作家や研究者のように長文を打ち込むわけでもないので、LibreOfficeまでは必要なしだ。

 たまにはバージョンアップがないと、TeraPad開発終了と思ってしまうではないか。

2022-03-08

ランニングコースの妄想

 過去はともかく、いまは単に身体が衰えぬよう月間100Kmのペースでランニングをしている。正確に計測してみると、月間95Km前後のようだが、まぁいいではないか。選手らのようにシリアスな走りをしているわけでもない。体型維持に貢献しているだけなのだ。

 問題はコースだ。日常的にランニングを実行するなら、誰だって信号で止められたりするのはイヤだ。だから川沿いの土手に設置されているランニングコースを往復しているのだが、たまにはコースを変えてみたい。でも、上をみればキリがないのも事実なのだ。

 テクニックというほどでもないが、関連することがお勉強関連の絵本(我が家の専門用語で書籍一般のこと)に書いてあった。「継続は、だれも裏切らない」だって。忙しくなったり飽きてきたとき、1ページだけ参考書を開く、10分間だけ走るとかなのらしい。

 オレ様は賢者でだが、凡人でもある。ランニングコースは変更しないことにしよう。

2022-03-07

香を焚くという行動

 寺はもちろん、ヨガでも香を焚くということが行われている。まだ大学生時代、ヨガや瞑想で使う〝香〟というものがどこで売っているか分からなず、そこらへんのスーパーで売っているような線香で試し、即座にやめたことがある。オレ様の部屋は寺じゃない。

 ムーという雑誌で瞑想用の香を売っている広告を発見し、即座に買ってみた。あま~い香りが部屋に満ちてきて、友人たちは「香りが強すぎる」という評価を下していたと記憶している。そんなことを思い出したのは、香を焚く香道なる雑誌記事を読んだからだ。

 香りは瞑想など何らかの目的において、副次的な効果をもたらすものだろう。Amazonや楽天でさがせば、いろいろなタイプの香を探し出すことができる。ちょっと見てみたら、香立てからアロマ香炉だのいろいろあり、一式そろえればそれなりに金も飛んでいく。

 趣味というのは、そんなものだ。久しぶりに、まずは「ムー」でも買ってこようか。

2022-03-04

5円玉と1円玉での支払い

 消費税がいろいろ変更になったところで、買い物には5円玉や1円玉が必要だ。むかしから9円分を持っていき、レジで下一桁分の支払いをするわけのだが、何店かで買い物をすれば簡単には計算できぬ。最近は自動レジもあるので、小銭の支払い方法を考えた。

 自動計算のレジならば、1円玉や5円玉はもちろん、小銭は計算などせずに投入口に入れる。ガチャガチャと計算をしたのちは、必要な釣銭分の小銭も出てくるわけだ。こうした自動計算レジでなければ使えぬ技だが、こちらも面倒な準備をしなくとも済む。

 釣銭に計算間違いがあったらどうするのだということは、自動計算なのであまり考えていない。さすがに札での釣銭枚数はちらりと確認するが、小銭にいたっては自動計算なので必要な5円玉、1円玉など出てきた金額そのまま。こちらも確認などゼロなのだ。

 カード支払いの店舗あったところで、まだまだ5円玉1円玉の小銭は必要なのだ。

2022-03-03

失敗というカテゴリー作成

 ある官僚が失敗の経験を本にしたらしい。誰にでも失敗はあるもので、その経験を記録しておいて書籍にまでする人がいるかとなれば、これまた別の話。しかし、世の中には失敗学なる分野もあるようで、図書館や書店へ行けば失敗に関する本もたくさんある。

 賢者たるオレ様は気がついた。失敗の経験が後に生きるくるとすれば、アイデアマラソンの分野に「失敗」というカテゴリーを加えても良いのではないか。失敗経験を記録する人などとても少ないし、記録しておけば別のアイデアのヒントとなるかもしれん。

 オレ様もアイデアマラソンを実行しているし、アイデア数も1万件を超えて、考案者の樋口健夫くんから褒められた。失敗というものは埋もれたままであることが多いものだが、もしかするとほかの分野でヒントとなる場合があるからな。さっそく実行に移そう。

 失敗の記録も歴史に名を遺す分野となるかもしれぬ。ただの〝アホ〟ではあるまい。

2022-03-02

「余録」千日行の達成

 何か文章を書く場合、作家や新聞記事の文章を書き写すと良いとむかしからいわれてきた。最近は文章を書く力にも衰えが出てきたので、購読している毎日新聞の1面コラム「余録」の書き写し千日行を始め、昨日やっと千日間の書き写しを達成したのだった。

 1年間続けるという中途半端なものではなく、千日間の修行だからほぼ3年。新聞も年間12日間の休刊日があるので、その日だけは休んだけど、これはカウントしていない。肝心の書く力はアップしたのか? 分からぬけど、書き直しの時間だけは増えている。

 文章力というのは、他人様が読んで判断するものだからね。参考書としては、ミステリーの書き方だのユーモア小説を書くといった本を読み散らしたけど、文章の書き方というより構成の方法といった内容だ。相手に読ませるには、内容だって大切な要素だしな。

 余録書き写し千日行のチェック表は手帳に挟んでいたので、下記のようにボロボロ。

 

2022-03-01

また「聖書」かよ……

 あるコンサルタントがメルマガで、人生で「影響を受けた50冊」を発表していた。毎日数冊づつ発表しているのだが、そのベスト10の中になんと「聖書」があったのだ。西欧文化圏なら分からぬでもないけれど、アジア文化圏ではさほど浸透しておるまいと思う。

 その聖書を読んだ感想が振るっている。聖書を読んでいると、海外の映画や本に元ネタとして使われている例が発見されるというのだ。なるほど、こんな視点で聖書を読んでいるのかと思うが、いったい日本人で聖書を読みこなしている人は何人いるのだろうか。

 物語の元ネタという視点で聖書をとらえるオッサンは初めてだ。過去からさまざまな連中が聖書を読むべき本に挙げていたが、たいがいは相手を煙に巻くような理由よ。このような観点でとらえられても困るけど、タネ本と言われれば興味もちっとは湧いてくる。

 オレ様もチビッコも聖書は持っている。いや、持っていたはずなんだがなぁ~。