2024-02-29

ぶ厚い本だった……

 とっくに世を去った著者でも、いまごろになって読んでみたい本がある。ネットの世界だと書名など知らなかった本が見つかるもので、それが古本であるなら概要をチェックしてから買うわけだ。先日も、Amazonから届いた本があまりにもぶ厚いのでビックリした。

 名前しか知らない大宅壮一くんを扱った「マスコミ帝王 裸の大宅壮一」なる評論本だ。ネットで見かけたとき内容はチェックするものの、ページ数までは考えていない。届いた時に思ったのは、かなり厚みがあったので、こんなものを注文したかなと思ったほど。封を開けてみて、己が注文したというのが初めて判明したのだから始末にわるいではないか。

 Amazonで買う場合、通常の知識であれば画像を見ただけで大きさがだいたい判断できる。ところが書籍だと、ページ数までチェックしないと厚さが分からないものだ。てっきり新書または普通の厚みの本だと早合点していたオレ様が悪い。ページ数チェックも必要だな。

2024-02-28

歴史を感じさせない表現方法

 読む人に歴史を感じさせないように表現する方法はないか。一般的な場合、簡単には歴史的事件を表記すればよい。たとえば新聞記事なら、「第二次大戦当時」とか「第二次大戦では」などと読者が年代を簡単に思い浮かべるような記述がある。これも一つの手だ。

 寺田寅彦くんに随筆を読んでいたら、「関東大震災」に関する状況と分析が書いてあった。関東大震災は大正12年に発生したことだが、西暦表記なら1923年のこと。当時ならいくら大災害でも、年数が経過すれば歴史的な災害となる。いまなら西暦と和暦を併記すれば良いわけで、関東大震災の例であるなら「1923(大正12)年」と表記すれば問題はない。

 年代の表記方法は、読者に対して分かりやすく伝えなければならん。西暦で書けば問題はないのかといえば、上記の例でなら震災は1923年として、2回目に書くのなら23年と表現する。こんなことを考えていたら、近年にはPCの2000年問題なんてのがあったなぁ~。

2024-02-27

ふせん(付箋)の使い方は?

 本やノートを読んだりすれば、重要と思われる部分には何らかのマーキングをしておく。しおりやページを折っておくなどいろいろな方法があるけれど、簡単に気軽に実行できるのは「ふせん(付箋)」ではないだろうか。ベタベタ貼り付けるとジャマになるけどね。

 引き出しの中に、この「ふせん」がストックされている。またネット検索すれば、効果的なふせんの貼り方などはゾロゾロ出てこよう。そんな効果の出るようなふせんの使用方法を調べていたら、なんと何種類もの本まであるではないか。あれこれ読んだところで身に付かないので、まずは1冊の本に書いてあることを実行してみることが重要だろう。

 自分にとってのふせんの使い方がある。だったら、ふせんの使い方を解説している本を参考にすればよろしい。気軽に使えるものなら、少しヘンチクリンな方法を持つ人がいる。「こんな面倒な使い方なんてできるか」と思う著者もいるので、そこは注意が必要だ。

2024-02-26

京大式カードを使いこなす第一歩

 文房具屋へ行けば「京大式カード」や「情報カード」が並んでいる。両者とも似たようなスタイルのカードだが、レイアウトなど細かい部分で違いがあるのは当然だ。京大式カードはストックも保存用のケースもあるのに、このごろはほとんど使っていない。

 使いこなす方法を考えねばならん。小さく始めて大きく育てるのがベストというわけで、これまで読書ノートに書いてきたことを、ともかく京大式カードに書くことにした。ノートに書いていると、途中で中断されることはよくある。こうなると気分も悪くなるけど、カードに一項目ずつ書いていればそんな心配もない。まずはやってみることだな。

 黄色のダーマトグラフで線を引いた本の部分を読書ノートに記述することが、カード方式にすると中断されても楽なことに驚いた。ネットでよく見られる面倒な方法より、次につながる方法ではないのかと納得する。とにかく、1~2ヵ月ほど試してみることだ。

2024-02-23

「づつ」と「ずつ」、どう違う?

 以前から何回も書いていると思うけど、文章で「・・・づつ」と「・・・ずつ」とがある。最近の新聞を読むと「・・・ずつ」が使われているけど、本を読んでいれば「・・・づつ」という記述も散見される。そもそも「づつ」と「ずつ」はどう違うのだろうか。

 検索してみると、同じような疑問を持っている人は多い。だけど面倒な解説が多く、分かったような分からないような解説ばかり。こういうときは、自分で納得できるような説明を探すに限る。そうしたら「づつ」は歴史的仮名遣い、「ずつ」は現代仮名遣いと掲載されていた。さらに「づつ」は国語辞典に掲載されていないとも述べられているぞ。

 掲載もされていないというのは本当だろうか。改めて国語辞典を引いてみると、載っていないのはもちろんだが、以前にも調べた形跡がある。説明というのは納得できる出来ないは重要だけど、それにしても面倒な解説が多いのはどうしてだろうと思うのだった。

2024-02-22

本に書いてあることを実行してみると……

 教本を買い、それに従って実行してみる。例えば、コンピュータのプログラムなんかは書かれている通りに実行しているのに、何度やっても結果はエラー。再チェックしても間違いはないはずだが、ともかく動かない。こういう時は出版社に質問してみるしかない。

 著者から「間違ってました」と返信が来る。当然ながら、正しい手法を書いてきたのは当然だ。とある言語の教本では、練習問題の回答が間違っていたこともあった。著者からは正解が来たけど、教本なのだからサイトにでも正誤表を載せておいてほしいものだな。でも、著者からは「正誤表掲載は拒否する」などというふざけた返信が来たりする。

 そうかと思えば、復習の方法について質問したこともある。この著者は、数年に一度ほどは「きちんと実行しているか?」とメールが来るので、こちらものんびりは出来ないのだ。本の著者に質問はしてみるものだが、ジャンクメールと思われていたりして……。

2024-02-21

京大式カードを使うのは停滞気味

 梅棹忠夫くんの著書「知的生産の技術」は、いまでも売れているらしい。古典になったとはいえ、その中で今でも使う人が多いのは「京大式カード」だろう。何日か前、文房具屋へ行ったら「京大式カード」ではなく、コクヨの「情報カード」が中心となっていた。

「京大式カード」は流行っていたはずなのに。「情報カード」が主力になったのは、メーカーの営業努力によるものなのだろうか。パソコンが主流となっても、新しい発想やテーマをまとめるには、やはりカード方式なのだろう。ただし、使いこなすのはとても面倒で、デスク脇の書棚に開封すらしていない京大式カードが2セットも鎮座しているから困る。

 思い立ったが吉日というではないか。さっそく使おうと思ったが、テーマが思い浮かばん。梅棹くんは〝カードをくる〟と新しい展開が思いつくといっていたが、オレ様の場合は、それ以前の問題だな。面倒なことをしないと、大きな成果は生まれないものなのだ。

2024-02-20

「春」という季節の訪れ

 新聞を読まない人もいるようだが、それはともかく今月初めから社会面には「春一番」や「花粉症」という記事を見かける。ランニングをしていると面倒な風だと思うのは春一番で、特に川岸だと上下流のどちらの方向へ向かっても抵抗となるからツライのだ。

 一方、花粉症はどうか。対策用マスクを着用しながら走っている人は、まだ見かけない。花粉症の原因はスギなどの花粉といわれるが、そのため雑木林を増やせという意見をよく聞く。ラジオで住宅建築家の話を聞いていたら、スギという木材は使い勝手が良いなどとアピールしていた。住宅と花粉症、それぞれの意見を聞いていると軍配を上げかねる。

 季節の変わり目には、それぞれの対策が必要だ。花粉症なら医薬品があるけど、春一番での対策は何だろう。春一番のような強風が吹いている時、走っていても前に進めない日があった。ウォーキングをしているオバチャンなんか、風にもてあそばれていたなぁ~。

2024-02-19

プラネタリウムの観客動員

 チビッコから「プラネタリウムを観たい」とのリクエストがあったので、先週末は久しぶりに天文台を訪れたのだった。機種も最新型に変更されていたようで、大人向けチビッコ向けまで幅広い年齢層に向けた番組展開ができる。こちらが観たのも大人向け番組だ。

 天文台は空気が澄んで星空がきれいに観える場所に設置されている。当然だろう。でもなぁ~と思うことは、プラネタリウムだけなら観客を動員しやすい場所に設置すればいいのではないか。渋谷の五島プラネタリウムは観客も多く、長蛇の列が毎回できているので観るのも大変だった。閉館となったのは、どさまざまな事情があったのかなと考える。

 過去から思っているのは、もっと観に行きやすい場所にプラネタリウムを設置すればいいのにということ。部分改修ならともかく、5年に一度の大規模改修であれば十分に対応できるはず。問題は資金なんだろう。オレ様では対応できんので、ただ観るだけなのさ。

2024-02-16

何度もいうけど「継続は力なり」なのだ

 イギリスには大昔、チャーチルくんという人物がいた。彼の語った言葉は今でも新聞に掲載される。「成功は決定的でなく、失敗は致命的でもない。続ける勇気こそ重要である」とね。すばらしいのだけど、同じようなことは同時代ごろに日本人も語っていた。

 明治のころ生を受けた住岡夜晃くんという人物だ。彼が語った中に「継続は力なり」というセリフがある。Blogなどへ何度も載せているけど、その全文は下記に載っているから読んで見たまえ。国は違っても同時代には似たようなことを考えている人がいるもので、特許争いなんかではよく見られる。ユングくんはシンクロニシティと語っていたけどね。

 有名人の展開で、同じ概念を過去にも語られたことはないのかと探してみた時期がある。そうすると実にたくさんあるのだ。むかし読んだ「アイデアのつくり方」にも、その展開手法が述べられている。簡単には、考えていると「天から降ってくる」というからなぁ。


2024-02-15

A5ノートを買うなら5冊セット

 数字のからくりというのは不思議なもので、占いにだって数秘術なんてものがある。先日も三脚や3本の矢のたとえ話にも出てくるように、「3」という数値は安定を表現するらしい。それならば、オレ様が好む「5」という数字は、何を表現させるのだろう。

 ノートを買う場合、いちいち買いに行くのも面倒なので5冊セットで買っている。それもぶ厚い70ページのA5タイプで、見開きで広げればA4スタイルとして使えるからね。いつもセットで買うわけだが、常備されていないので、わざわざ注文して2~3日後に受けとりに行かねばならん。まとめ買いというのは便利だから、実行している人も多い。

 入学試験で5教科という教科数があるくらい、社会には「5」で表現するケースが多いのだ。オレ様の場合は単に好みであるけれど、それが己にベストであるならそれでいいではないか。インスタントラーメンだって5個セットを売っているのだから、悪くないぞ。

2024-02-14

「魔境」という世界

 禅でいう座禅の世界。この世界で昔からいわれていることに、「魔境」という精神的な関門がある。精神集中を続けていると突然のように輝かしい世界が夢のように出現し、未来のことが判明した気分となるのだ。簡単には、精神的におかしくなってしまうことだね。

 宗教ばかりではない。瞑想をしていても、同じような世界に入り込む。一時期瞑想に凝っていたオレ様も、寝ていると突然のように部屋の中が光に満たされ、見たいものの前に移動できてしまったりする。宇宙空間に行きたいと思えば暗黒空間の世界にも行ける。西洋世界では「低次元アストラル界」というらしい。まさに洋の東西を問わないものなのだ。

 瞑想世界の本を読んでいたら、西洋の偉い指導者は「低次元を超えよ!」といっているらしい。では、どうすればいいのかとなると、これまたよく分からない。禅の世界では徹底的に無視することらしく、「魔境」を超えなければ次のステージには到達できないのさ。

2024-02-13

使い勝手の良いペンシルグリップ

 近郊の大型文房具専門店へ駆けつけたのだった。買いたかったものはすぐ見つかったのだけど、一緒に連れていったカミサンは「頭がクルクルする」などと言い、あれこれと買い物をする。こちらも欲しかった文具を探していたら、なんと発見したのだった。

 それはペンだこ防止用のペンシルグリップだ。パソコン主流とはいっても、ノートに手書きだってする。そうするとペンだこが痛くなり、数年以上も悩んでいた。対策用のシャープペンや100円ショップのグリップも持っているけど、使用感がいま一つ。検索すると専用グリップを発見したが、あまりにも安価だから通販では郵送費の方が高くなる。

 即座に購入し、使い込んでいる4本のシャープペンに装着。ペンだこ対策用のペンはどうしても太いグリップになってしまうのだが、さほど太くもない。こればかりは個人差があるだろうから、オレ様がベストだと思っても、他人様も良いとは限らないからね。

2024-02-12

鹿児島の「西郷どん」

 新聞を読んでいたら、鹿児島県の観光案内が載っていた。記事のひとつだから単なる観光ガイドではないのは当然だ。そこに観光ガイドのインタビューがあったけど、そのオッチャンは、よく見かけるような西郷隆盛風の着流し姿ではないか。まだ、いたのか……。

 西郷隆盛といえば幕末から明治にかけての英雄だが、鹿児島ではいまでも「西郷どん」と親しまれているようだ。鹿児島へ出張に行ったとき、名物〝流しそうめん〟の店へ連れていってもらったが、ほかにも観光客はいた。でも観光案内をしているガイド役のオッチャンは、なんと西郷どん風の着流し姿だったのだ。そんな記憶が蘇ってきたのだった。

 上野公園の犬を連れた西郷どんの銅像は着流し姿。着流し姿か浴衣姿というのかは分からぬけど、今のガイドも同じ姿なのだ。過去の武将をマネした武将隊というのは、いまや観光などのガイド役だけど、その先鞭をつけるような「西郷どん」は昔から存在していた。

2024-02-09

雑学を語るチャンス

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」は徳川家康。「鳴かぬなら鳴かせてみせるホトトギス」は豊臣秀吉、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」は織田信長。誰もが知っている戦国時代の三大武将を表す俳句だ。でも、この句を誰が作ったのか知っているかね。

 なんと江戸時代後期に書かれた随筆「甲子夜話(かっしやわ)」に出てくるという。ある人が肥前の国(長崎県)の平戸藩主の松浦静山を訪問したとき、「贈ったホトトギスが鳴かなかったとき、三英傑ならどう表現するか?」と尋ねたらしい。そこで松浦くんは俳句で表現したのだ。なるほど、この書物に出てくるのか。ひとつおりこうさんになった。

「甲子夜話」は今でも岩波文庫で読めるようだ。当然ながら現代語訳で書かれているだろうから、抵抗なく読めるとは思う。でもなぁ、雑学知識が増えたところで、それを効果的に使えるのは何年かに一度ぐらいのもんだ。オレ様には、そのチャンスもないだろう。

2024-02-08

筆ペンを使ってみる行動

 パソコンを使うことが主力になっていても、日常的にはシャープペンやボールペンだって使う。また、万年筆を使ってみようというサイトもたくさんあるけど、中にはもっと恐ろしいことを語っている人がいた。それは「筆ペンを使ってみよう」という主張だ。

 書道家やデザイナーならともかく、一般人が筆ペンを使う機会はほとんどない。と思ったが、筆ペンをコンビニでも売っているのだから、やはり使っている人は多いのだろう。日常的に使うなら、いや他人に見せるなら恥ずかしくないレベルまでには達したい。それには、まず何度も書く練習をしなければならない。チラシを練習用紙として使えるな。

 過去の記憶がよみがえってきた。以前も筆ペンで書く練習をしたことがあるけど、2~3日で飽きたのだ。当時の意気込みだけは評価も出来ようが、それから達すべきレベルを考えておかないと、安価な筆ペンとはいえゴミになってしまう。やはり、止めておこう。

2024-02-07

「肉まん」と「豚まん」

 似たようなものでも、地域ごとに異なる名称が世の中にはあるもの。同じ中華まんでも「肉まん」と「豚まん」が存在する。かなり前、関西出身者から「おみやげだぁ~」と言って「豚まん」をもらったことがあった。驚いたことは「でかい……」ということ。

 大きさが異なるぐらいかと思ったものだが、専門家でもないから実際のところはよく分からん。ただ、東西の地域ではボリュウーム感も違うということはバカでも分かる。関西方面へは何度も出かけているけれど、シーズンであるはずの冬場にはなぜか機会がゼロ。横浜の中華街なら夏場も店頭で見かけるから、季節を問わずに売れているのだろう。

 冬場であれば、コンビニだって店頭で売っている。「肉まん」と「豚まん」の違いは、詳しく述べる人に任せておいて、一般人は舌つづみを打ちながら食べればよい。さまざま違いなら、たぶん「美味しんぼ」の山岡士郎くんらに任せておけばよろしいと考える。

2024-02-06

ワインの選び方は不明

 なかなか稼げない世界というものがあり、詩人というのもその一つかな。19世紀初頭のイギリスの詩人、ジョン・キーツくんは「本、ワイン、果物、良い天気とちょっとした音楽をください」と語ったらしい。気になったのはは〝ワイン〟という一言なのだった。

 この一言に接して、思わずワインを買いに走った。普段はウイスキーをトワイスアップというかハーフロックで楽しむが、たまにはワインもいい。それにしてもワインというのは種類があり過ぎる。考えてみれば日本酒も各県ごとに銘柄が存在するわけで、同じようにワイナリーごとの銘柄があっても不思議でもないし、味を楽しむほどの者でもない。

 2000円未満のワインを選ぶにしても、赤と白でまた迷う。ワインの本も何冊か読んだことがあるけど、手の出せない高額商品ばかりを知ったところで参考にもならぬ。007ではないのだ。ワインバーへも行ったことがあるけど、そこの一般品の銘柄は何だろうね。

2024-02-05

読書ノートのポイント?!

 ネットで語られるテーマに、読書ノートのつくり方というのがある。いまはどうなっているのだろうと思い読んでみると、いやはや微に入り細に入りの項目が並んでいるではないか。これではデータ項目を記入するだけでも時間がかかり、たぶん長続きしない。

 読書ノートというのは、学校のテストや資格試験の勉強のためじゃない。しばらく前、ある人の読書ノートのつくり方というサイトを見つけた。書名、著者、出版社の3項目だけを最初に記入し、ノートの見開き2ページに気に入った内容だけをまとめる。記入ページ数は多くとも4ページまで。実行してみると、なるほど気に入った項目だけならできる。

 ポイントの絞り方も課題だ。これはと思うところは、黄色のダーマトグラフで線を引いている。これが多くなると、どれを選択して書き込むかをチェックせねばならん。結果的に、ノートに書き込むまでの選択も必要になり、以外と時間がかかるのでとても困る。

2024-02-02

節分に欠かせない「豆」

 いまの時期、スーパーに立ち寄ると節分コーナーが設置されている。チビッコ用のものから一般用まで「豆」が各種そろっているのだ。何日か前からあったのだが、たまにはウイスキーのツマミとして節分用の豆も悪くないと思う。節分が過ぎれば投げ売りだな。

 邪気を払うのが節分らしいけど、詳しい文化の説明ならネットにくさるほど掲載されているから、そちらを読んでくれ。ともかく新しい季節を迎える祭事らしいけど、西洋の星占いも2~3月あたりで一巡する。生活文化というより、農耕文化を支える方法のひとつに違いない。節分が祭として時期を伝えるのなら、暦を知らせる仕事というものあった。

 チビッコがバブバブしているころ、近所の大きな神社で節分祭があった。スタッフは鬼の着ぐるみ姿だし、関連イベントだって盛りだくさん。それにしても小さな神社は、なぁ~んにもしておらんな。神社の大小で祭事の動向も異なってくるのは、たぶん費用だ。

2024-02-01

ノートの歴史は不明

 レオナルド・ダ・ビンチくんにあこがれて、エジソンくんはノートにアイデアを書き込んでいたそうだ。パソコンに記録を保存できる現代は、便利だけど読み直しはとても面倒。また、実験結果は印刷して保存している研究者もいるが、どのようにまとめているのかね。

 昔も今も紙やノートに記録などを書きつけていたわけだが、そもそもノートはいつごろ開発されたものだろう。江戸時代の大福帳もひとつのノートと考えるなら、紙は貴重品であったにしてもノートのようなものは存在したわけだ。ノートメーカーなら歴史が書かれているかなと思ったけど、そんなページはない。こうしてムダな1時間ほどを過ごす。

 ダ・ビンチくんの記録をまとめた本がある。上下2巻だが、上巻の半分だけ読んでいるうちに飽きた。ノートがなかった時代だから、いまは項目別に整理されているけど一般人が読んでもつまらない。ノートが誕生した歴史は、オレ様には課題が大きすぎるのさ。