2024-04-26

アイヌ模様の一覧はあるのか

 購読している新聞は毎日新聞だ。そこに1~2週間に1回ほど、アイヌ語の小さなコラムが掲載されている。このコラムが面白いのではなく、周囲の記事と区切るための罫線が、なんとアイヌ的なデザイン。これを見ると、アイヌ模様に興味が出てくるではないか。

 デザイナーではないけれど、他人様とは異なった展開をしてみたい。そう思えば罫線部分にアイヌ模様を使っても良いではないか。検索してみると、イベントや昔の写真はあるけど、一覧といったようなものは見つからないので、すぐにあきらめる。研究者はいるようだが、それは言葉や風習といったものがほとんどで、模様ではないから困ったものよ。

 北海道旅行をしたとき、みやげ物屋にアイヌ語のポスターがあったことを思い出した。でも、言葉ではなく、他人様を驚かすような罫線のデザイン処理が見たいのだだ。むかし「罫線一覧」といったサイトがあったけど、そこにアイヌ的なものはなかったしなぁ~。

2024-04-25

「マグロのぼり」が泳いでいる

 1年の間には、さまざまな祝日が何日間かある。そのなかで「子供の日」ともなれば、思いつくのは「コイのぼり」だろう。青森県大間町のマグロ漁は、時に話題になるので知名度も高い。そこでコイのぼりならぬ、「マグロのぼり」が登場したらしいのだった。

 むずかしいことは何もなく、コイのぼりのコイを単にマグロに変えただけ。家族構成のように父母、そして子もいるので、マグロのぼりは何匹かが大空を舞う。大漁旗をイメージしたデザインらしく、プラスして縁起物まで描かれているらしい。さらに驚いたのは、もう10年ほども前からあるようで、まさにアイデアの勝利といっても良いだろうね。

 町おこしの一貫らしい。みんなと同じことをやっても話題にならないから、地元の特産品を用いての展開だ。新しい発想の創出方法として、組み合わせを変える手段がある。その方法を表にしてデスク前に貼っているけど、それだけでは効果はなく、やはり実行だ。

2024-04-24

思いついたのなら「すぐ実行」

 18世紀ごろの幕府トップに田沼意次くんがいて、平賀源内くんは時にアイデアを述べていたらしい。この時代あたりのマンガを読んでいると、歴史小説ではないから創作だろうけど、面白いセリフというものがある。これが現代でも通用するから笑ってしまうのだ。

 田沼くんは、「学者の机上の空論ほど腹立たしいものはない」「論評するだけなら誰にも出来る」。そして今日でいう企画書に当たる上申書を、なぜ出さないと怒る。こういう理解者がいたから、源内くんもさまざまなアイデアを実行することができたのだろう。歴史に名を残すような人たちには、名前も出てこない優秀なブレーンがいたのだろう。

 伝記というのは、たとえマンガでも読んでみるものだな。マンガならセリフが必要となるので、小説以上に場面を創作しなければならぬ。アイデアを考えて実行するなら、今日でいうPDCAサイクルみたいなものか。案というものは、すぐに実行しなければならぬ。

2024-04-23

ノートに書くのは、知らなかったこと

 講演会やセミナーなどへ参加すれば、ホホゥ~と思うことはよくある。ポイントとなることを聴いたりすれば、ちょっとはメモするだろう。「なるほど」と思うだけなら、もちろんメモする必要はない。そんなメモのテクニックを述べているサイトを見つけた。

 テクニックというと、なんかすばらしいことのように思える。でも、その答えは簡単だった。「自分に必要だと思うことをメモする」、プラスしてそのメモを「使う一歩手前までイメージする」ということ。当たり前じゃないかと思うのだが、そんな当然のことが出来ていない人は以外と多いらしい。そのメモが次につながるようにしろということだな。

 読書家がメモをするなら、3行程度という。本を読んだら、そのメモはノートの見開き程度に書けばよいというオッチャンもいた。表現方法が違うだけで、みんな同じことをいっているではないか。ノートにメモするなら、知らなかったことだけを書いておけばよい。

2024-04-22

「ガムをかむ」効用

 図書館へ行くと、「ガム」の効用を説く本が何冊かある。もちろん、ガムそのものが良いのではなく、「ガムをかむ」という行為を述べているわけだ。医学関連書にも同じようなことが書かれいて、精神安定や集中力の向上などに効果があるとされている。

 プロ野球でも巨人の記事を中心に載せているスポーツ新聞に、報知新聞がある。そこに日本ハム監督の新庄剛志くんが、ガムのかみ方について述べている記事があった。新庄くんがいうには「集中力が増す」効果を述べているが、同時に「クチャクチャっていう(かみ方)は好きではない」ともいう。特に、チビッコ野球に及ぼす影響を心配していた。

 ガムの効用とマナーのバランスだな。効用を信じて、実は「ブラックブラック5個パック」を買い置きしている。効果はあるのかとなると、何とも言えん。トラック運転者は眠気覚ましにガムをかんでいるらしいが、新庄くんのいう効果が発揮できているのかな。

2024-04-19

本のオビというもの

 ガッチリした単行本もしくは文庫本など、種類は別としても本を買うことはあるだろう。いまではAmazonが中心で、本屋で買うことはほとんどない。なぜかといえば、テーマを持っていれば、読みたい本は決まってしまうので、ネットが中心となるのも仕方あるまい。

 古本だって、検索して買うことになる。もちろんテーマや内容がメインだから、新品同様といったグレードには何の関心もない。届いてから驚くのは、古本であっても本のオビまでついていることだ。このオビを読んだところで、宣伝文句が中心だから、たいかいは捨てる。でも、ちょっとばかりもったいない気もするから、読み終えてからなのだ。

 本のオビというのは、何のためにあるのだろう。目立たせて、思わず買ってしまう行動に結びつけるためか。オビが付いていれば、古本屋に高く売れそうだからかな。本体まわりのカバーだって不必要なときがあるのだから、内容が問題なのだと思うのだがね。

2024-04-18

頭が働くまでの時間

 朝起きて、すぐに「やれ!」と言われたところで即座に出来るもんじゃない。時間がなければコーヒーだけを飲んだり、あるいはバナナだけを食べたりすることもあるだろう。体や頭を十分に働かせるまでには、それなりの準備時間というものが必要なのは当然だ。

 スポーツだって、それは同じ。そのために準備体操がある。マラソン選手だった宗くんは、引退後のマラソン大会で準備運動として10キロぐらいは走ると述べていた。趣味でマラソン大会に参加するような一般人だと、大会そのものの距離ではないか。オリンピックに出場するような選手だったからレベルが違うのは当然として、簡単にはマネできん。

 お勉強とはいっても、調子が出てくるまでには、そこそこの時間が必要だ。作家の北杜夫くんが語るに、大学生時代はノートの上に鼻毛を抜いて立てていたと語っていたな。頭を働かせるためには、何をするかはともかく、調子が出るまでの準備時間が必要なのだ。

2024-04-17

サケの稚魚の放流

 全国のニュースをながめていると、このところサケの稚魚の放流というイベントが目につく。北海道や東北地方あたりが中心だろうけど、幼稚園児や小中学生らが実行している。毎年のように初春のニュースになっているということは、稚魚の成育業者もいるはずだ。

 何10年と実施されているようだが、いったい何匹を放流しているのだろう。川に再びもどってくるのは数年先だろうけど、自然界で生存する確率はどの程度なのかな。稚魚放流はニュースになるけど、また川へ戻ってきたというニュースは一度も見たことがない。北海道でクマが冬眠前の食事としてサケを採っているシーンを、たまに目にする程度だ。

 サケとサーモンは同じものだと思っていたら、違うということがネットに掲載されていた。学術上は同じだが、サーモンは淡水で育ち、サケは海水で育つらしい。食べるときも違いが出てくるのは当然だ。サケとサーモンは違うということを初めて知ったな……。

2024-04-16

ワインラックに対する妄想

 ワインに関する本を読んだことがある。でも。紹介されているワインは最低でも5000円以上だから、普通の家庭で常に飲めるような代物ではない。ひと月にせいぜい1回ぐらいで、価格だって消費税込みで2000円以下だし、種類となると赤や白がメインなのだった。

 ベーシックな赤と白に加えて、たまにはロゼワインもいいかなと妄想しているときだった。どうせなら、数本程度が収納できるワインラックがあってもいいではないか。思い立ったら止まらないので検索してみると、価格は上を見ればキリがないけど、安価なものなら2000円前後からある。ここにストックして置くなら、ワインを飲む機会も増えるだろう。

 数本程度のワインラックもいいけど、横に置くのは栓がコルク時代のものだよな。いまや安価なワインはスクリューキャップなので、寝かせて置く必要があるのだろうかと妄想が湧く。肝心のワインラックを買う前に、よけいな考えが生まれるのが一般人なのさ。

2024-04-15

ノートのスタイル

 どんなお仕事をやっていようと、ノートの1冊ぐらいは持っているだろう。ビル・ゲイツくんだって、どうもA4サイズのノートを持ち歩いているらしい。有名人というのは、こだわりがあるからね。人様が、どんなタイプのノートを使っているのかは気になる。

 一般的なノートとなればサイズもいろいろだ。でも、主力となるサイズはA4、B5あたりだろう。文房具などのメーカーとして有名なコクヨのメルマガを読んでいたら、なんとB6で横型のノートを販売しているらしい。パソコンを使っているとき、キーボードの手前にあればメモも書きやすいというコンセプトなのだ。さっそくサイトを見てみた。

 B6の横型サイズなんて、使いやすいのかなと思う。本などを読んでいるとき、メモ書きにしている京大式カードはB6だった。使わないと思っているサイズでも、意外と生活に溶け込んでいるものだな。でも、文房具屋の大手に行き、見かけたことはないぞ。

2024-04-12

書けばうまくいくという手法

 今では忘れ去られたような本にマーク・リービーくんの「書きながら考えるとうまくいく!」なる本がある。読んでみるとなるほどと思うことがあるけど、理解しにくいのは翻訳者がいけないのだろう。ネットでは「翻訳がひどい」といった声をたくさん見かける。

 新しいアイデアを考えるとき、誰でも即座にベストな案が思いつくわけではもない。ウンウンうなりながら考えたり、なかにはノートに落書きを描く人もいるそうだ。上記の本で述べられている通り、5~10分ほどの間にパッパと書き出してみると頭の中の整理ができてくる。スポーツでいう準備体操だから、まずはハチャメチャでも書けばよいのだ。

 アイデアマラソンでも、最初から使える案が出てくるわけがない。そんなときリービーくんのいうとおり、1~2個ほど書いてみる。そうすると少しづつ調子が出てくるものなのだ。やってみるもんだね。この本、いまじゃ図書館の本棚ではなく書庫に入っている。

2024-04-11

「天狗小僧」と呼ばれた男

 世の中には風変わりな人物というのはいるもので、300年以上も昔の人物に平賀源内くんがいた。役に立つ立たないは別として、いろいろなものを考案するから、源内くんは小さいころから「天狗小僧」といわれたらしい。一般人の中で、目立っていたのだろうね。

 考えてみると、あだ名というのは、その人物の特徴を表している。ならば、源内くんのマネをして、こちらも己のことを「天狗小僧」と名乗ろうではないか。源内くんはマルチな才能を発揮した人だから、伝説上の天狗と並び称されたわけだ。ただし短所として、自分本位の人物だったようだが、誰だって性格上の凹凸はあるものだから仕方あるまい。

「天狗小僧」。いいネーミングだと、己の妄想の世界に浸っていた。でも現実にもどって考えたのは、あだ名というのは自分で決めるものではなく、他人様が決めるものだろう。そうなると自称するわけにもいかぬ。「天狗小僧」と世間様が言ってくれんかなぁ~。

2024-04-10

ステーキと音楽

 レストランもしくは家庭であっても、値段の高い安いはともかくステーキを食べることはあるだろう。レストランならBGMはなんだ。家庭ならテレビやラジオかな。ステーキを食べるときに雰囲気を盛り上げるのは、やはり外部の手段に頼るしかないわけだ。

 ステーキを食べるとき、昔のことだけど銀座のレストランではカントリーの生演奏だった。一方、関西方面を訪れたときには、なんとフルートによるクラシック演奏がメインで優雅な雰囲気をかもし出す。かと思えば、近所には最低価格でも2万円になるところがある。知り合いは「客層が良い」と感想を述べていたが、そう簡単に行ける店ではない。

 高額なステーキを提供する店は、どうやって雰囲気を盛り上げているのだろう。会話は雰囲気を盛り上げ、ヨーロッパあたりの食事時間が長い理由もそこにある。ステーキは食事そのものを楽しむ要素があるので、場を盛り上げるための音楽が必要になるわけだな。

2024-04-09

まんが版「千夜一夜物語」

 評論家としての名もはせた大宅壮一くんを知っているかな。名を冠した「大宅壮一文庫」なる図書館まであるくらいだから、かなり有名だったのだろう。古本屋で「裸の大宅壮一」という伝記を見つけたので、どんなオッサンだったのかと思い買ってみた。

 世界中の人が知っているであろう古典として、「千夜一夜物語」がある。この大長編を大宅くんが翻訳までしていたのには驚いた。岩波文庫では全13巻で刊行されていたから挑戦したことがあるけど、話があちこちに飛んで何10ページか後にまた元に戻るという構成だったので、読んでいると頭がおかしくなる。3巻目で、読むのを止めたのは当然だ。

 大宅くんのような賢者ともなれば、翻訳していても耐えられるのだろう。読みやすいものはないのかと検索していたら、「まんがで読破」シリーズにあった。すぐに買うわけでもないので、読書リストに加えておこう。読むのが面倒な古典は、マンガに限るね。

2024-04-08

「一筆箋」の展開方法

「ふせん」の効果的な使い方を解説した本を読んでいると、「短冊や一筆箋だって大量には書けませんよね」という解説があった。そりゃそうだ。短冊は七夕で願い事を一言で書くわけだが、一筆箋だって似たようなもだろう。一筆箋を作っているデザイナーもいた。

 一筆箋の使い方なんてあるのかな。ちょっと検索してみると、縦書きどころか横書き用のものまであるではないか。もっと驚いたのは、書き方のマナーがあるらしい。文章の書き方というのではなく、礼儀作法のようなものだから驚いてしまう。「手紙の書き方」などと同じような展開手法だけど、果たして一筆箋にそんな需要などあるのだろうかね。

 本の著者から献本をもらったことがある。パソコンで当たり前のように作れる時代だから、A4用紙に数行だけの挨拶が書かれていた。むかしから献本はもらってたけど、どんな様式で書かれていたのか記憶にない。たぶん、挨拶は一筆箋に書かれていたのだろう。

2024-04-05

平賀源内にあこがれる

 偉人伝というのは、少しだけしか読んだことがない。図書館へ行ったとき、ちょっと手に取ってみたのが平賀源内くんの伝記なのだ。これがふざけた本で、読みにくいといったレベルどころではなく、著者が自分の趣味に酔って書いたのではないかと思ってしまう。

 ネットの記事を読んでいて気がついたのだが、学習マンガでも源内くんの伝記があるではないか。研究書レベルの本を読んでも理解することはむずかしいので、まずは全体像を把握することが肝心だ。以前読んだ伝記にも、源内くんは百科事典だったかを買うために、寝具まで売払ったということが書いてあったけど、オレ様レベルではマンガで十分だな。

 ヒット作のあった源内くんだけど、それ以上に失敗も多かった。たとえばエジソンくんだって大発明はあるけれど、それ以上に失敗作は存在する。だから源内くんだって失敗作があっても当然なのだ。というわけで、源内くんのマンガ伝記をAmazonで注文したのさ。

2024-04-04

3割バッターは偉いのだった

 ある本を読んでいた時、常に達意の文章が書けるわけではないので、ヒットする作品が3割あれば良い。いわゆる「3割バッター」だと書いてあった。そんなもんかと思ったけど、2023年のプロ野球で3割バッターがわずか5人だという記事を読んで驚いたのだ。

 プロ野球の記事を真剣に読んだことはなかったので、今までの記録を検索してみた。そうすると、3割バッターというのはそんなにいるものではないのだ。解説記事を読んでみると、打率が3割を超えると超一流、2割7分~8分ぐらいだと一流と記載されているではないか。新聞記事にときたま「打率〇割」という見出しが踊るのも不思議ではない。

 バッターとは、そんなに打てるものではないのだ。メジャーリーグの大谷翔平くんもヒットを打っているシーンばかりがニュースになるけど、打率を調べてみると3割前後をウロウロしている。記事の文章だって、3割のヒット率があれば良いのだなと納得する。

2024-04-03

風邪をひいたら休むという行動

 気温の変動が激しいこの季節、1週間ほど前に風邪をひいた。治ったのだけど、どうも身体の調子が思わしくない。医者に行くほどでもないし、何がどうということもないのだが、ともかく気力が出てこないのだ。もしかして、花粉症なのかなと迷うではないか。

 新聞広告に出ていたので、「三島由紀夫が復活する(新書版)」なる本を読んでいた。三島くんはボディビルをやっていたことでも有名だけど、「風邪を引いて三週間ほど休んだことが一度ある」と書いてあるではないか。キリキリと行動しているイメージを持つ三島くんだが、彼だって体調が思わしくなければ、回復するまできっちり休んでいたのだ。

 こちらも体調が回復するまでランニングを休んだところで、なにが悪い。三島くんだって完璧に回復するまで休んでいたのだから、こちらも家で転がっていたところで問題はないだろう。行動する人のマネをすることは、とても重要なのだ。しばらくはお休みだね。

2024-04-02

ノートやカードを読み直すということ

 内容はともかく、ノートは誰もが書いていることだろう。本やネットでノート術という方法はいろいろ語られているようだけど、ともかくまずは書かねばならない。書いたらどうするかというと、寺田寅彦くんは再び読まねばならないと言って実行もしていた。

 いま行なっていることは「アイデアマラソン」と「超メモ術ノート」という二つの方法。加えて再び復活させた方法として「京大式カード」がある。真面目にやろうとするなら最初が肝心で、カードはもちろんだか見出しとなる「インデックスカード」、収納しておく「カードボックス」も買った。何度も失敗しているので、スタートの準備も万端なのだ。

 寺田寅彦くんも述べいているが、ノートは読み直しが肝心。京大式カード考案者の梅棹忠夫くんも〝カードをくる〟という方法の必要性を述べている。ノートやカードは書くだけでなく何度も読み直すことが大事なのだ。これが出来そうで、なかなかできないのさ。

2024-04-01

情報カードの「3×5」サイズ

 文房具屋へ京大式カードを買いに行けば、情報カードも一緒に売っている。情報カードにはいろいろな種類があるので、目的によって専用スタイルのカードがあっても良いとは思う。その中で「3×5」というサイズがある。これは、どういったサイズなのだ。

 調べてみると、インチサイズによる大きさらしい。センチに直すと「125×75mm」になるようだが、どこで汎用的に使われているのだろう。どうも図書カードらしく、図書館の図書カードボックスに入っているカードサイズのようだ。なるほどと思うが、それも今やコンピュータで管理されている。それにしても、いろいろなサイズが存在するものだな。

 情報カードは、使用目的に応じた専用カードがそろっている。目的別カードがあるのはいいけど、文房具屋にすべてがそろっているわけでもない。使用目的に応じて細かくサイズや形式が分かれていると、入手も面倒になる。汎用サイがあれば良いのだけどね。

2024-03-29

カードケースを100円ショップで買う

「京大式カード」「情報カード」などはB6サイズだ。梅棹忠夫くんは、確か輪ゴムで京大式カードをまとめて持ち歩いていたと書いていた。ケースを買うとするなら、まずは100円ショップあたりで見つけるのがベストだと考えて、近所の100均へ行ってみたのだ。

 両カードともB6サイズなので、最初はソフトケースを考えていた。実際に確認してみると、このサイズのビニルケースはフニャフニャしていて、デイパックなどに入れるには不安が残る。プラスチック製となると安心だが、A5サイズが最も小さい。筆記具のことも考えるなら、A5サイズでも問題はないだろうというわけで、まずは薄いプラケースを買う。

 A5サイズのケースはいいのだが、売っていたのは最後の1個。しばらく使ってみて問題がなさそうなら、大きな文房具屋で買えばよい。ネットで検索してみると、持ち運び用のケースともなるとベストサイズはないので、みなさんいろいろ苦労しているようですな。

2024-03-28

「膝」と「腰」が痛む

 地球の電離層は、約10年周期で太陽黒点の大きな影響を受ける。アマチュア無線、なかでもVHF帯だと簡単にDX QSOが可能になるので、バンド中は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。こんな時期は、朝からビーコンをチェックするのが日課のようなもんなのだ。

 ランニングをやっていても、同じように約10年ごとに「膝」が痛んでくる。少しがまんしていると、今度は「腰」あたりにも影響を及ぼす。真面目な選手なら故障を起こすことは時にあるが、ピヨピヨしたレベルの走りでも起こってくるから話は簡単ではない。膝と腰の痛みに耐えかねて、ついにランニングを何日間かお休みすることを決断したのさ。

 周期的にやってくる故障は、まさに忘れたころにやってくる。原因は何だろうと思いつつ消炎剤を塗りながら考えていると、これまでも10日間ほどで痛みは消えてしまう。いや、忘れてしまうのだ。今が痛みのピークだろうから、ウイスキーでも飲んで休んでいよう。

2024-03-27

書評などで紹介された本ばかり……

 ニュースを聞いていると、またもや地元の書店が閉店したそうだ。こちらも本屋で買うことはなく、ほとんどがAmazonから買っている。未読の本も何冊かたまっているだけでなく、読もうとチェックしている本も20数冊ほどに達しているというのが現状なのさ。

 どうやって本を選んでいるのかといえば、単に新聞雑誌の書評に掲載されているものがほとんど。本屋で本を選ぶということはしていない。それでも年間で30数冊の本を読んでいるわけだが、この程度のレベルでは読書家とはとても言えまい。本屋で本を選んで買うのではなく、ともかく紹介されている本だけをAmazonで買うだけで、このありさまだ。

 かなり昔になるが、年間で百冊の本を読む読書クラブに属していたことがある。これが簡単にできるようで、実行にはかなりの気力が必要だから2~3年で止めた。読書は強制されて読んだところで、頭にはなぁ~んにも残らない。オレ様は平均レベルの人だな。

2024-03-26

組み合わせを変える〝ふせん〟展開方法

 Amazonの通販サイトを見ていたら、「やりたいことが絶対全体見つかる 神ふせん」なる本が出版されているようだ。こちらもボンヤリと生きているのだから、たまには人様によく見られたいと思うのは当然で、この本を買ってパラパラと眺めていたのだった。

 発想法というテーマには、むかしからチャレンジする人は存在する。図書館へ行けば関連する本など何冊も見つかるもので、こうした類似本だろうと考えてもいた。パラパラとめくっていくと、たとえば「マンダラート」「マンダラチャート」といわれる発想法を、なんと「ふせん」で実行する事例が出ていたのだ。なぁ~るほど、思わず唸ったものさ。

 以前からマンダラ手法というのはあったけど、やってみて思うのはいくつも作り直しを重ねる必要がある。ベストだろうと思われる発想がで出てくるまで、時間もかかるのだ。この作り直し作業を「ふせん」で実行すればよい。ん~、ものは考え方次第なのだな。

2024-03-25

カード展開という新し文房具

 何度か「京大式カード」「情報カード」のことを書いてきた。そうしたらFacebookに、どこかの文具メーカーが新スタイルのカード発売を開始したと告知している。カードのスタイルは小ぶりで、まとめやすいツールまで付いている。他人事だが、成功するかな。

 国内外を問わず、似たようなカード展開方法はあるものだ。カードスタイルが違ってくると使い勝手なども異なるわけで、根強いファンというのはいるもの。ただし、それが売れるかどうかとなると別の話し。新スタイルのカードは、従来スタイルと比べて2倍弱ほどの価格がする。アイデアは良くとも、そんな価格で売れるかなと心配になってしまう。

 カード方式が良いかどうかは、継続という行動にかかっている。これまで何度も挫折したものの、再び復活したのも、京大式カードの考案者・梅棹忠夫くんも述べているとおり面倒なのだよ。〝小さく始めて大きく育てる〟とは、古人はよく言ったものよなぁ~。

2024-03-22

カードのスタイル

 古典中の古典ともなった、梅棹忠夫くんの「知的生産の技術」。初めて読んだ時、「京大式カード」なる方法をマネすべきだと考え、すぐさま買いに走った記憶がある。いまや同じようなスタイルのカードには「情報カード」があるのも、知っていることだろう。

 似たような製品があれば、比較のために使ってみるのも当然だ。そう思いつつ年数も経過しているわけで、ネットで検索してみると、カードをうまく束ねる文具なども販売されている。驚くことには、カード方式の手帳まで考案されていることだ。しかし、難点もある。それば専用品を使わなければ、うまく〝まとめられない〟ようになっているからね。

 専用品があれば、己の工夫次第で、うまく使えるようにもなる。こういうのは世の常だ。アイデアは「拡大」「縮小」「再利用」「逆転」「転用」「応用」「変更」「代用」「統合」の9種類に分類した人がいる。カードのスタイル以外にも、考える人はいるものよ。

2024-03-21

パターンを見つけるのもテクニック

 なにか新しい趣味でもスポーツでもいい。始めるにしても、最初から上手くできるわけがないので基本からのスタートだ。トライアスロンにチャレンジしようと考えたとき、泳げなかったので水泳教室へ通ったけど、プールサイドでバタ足の練習がメインだったな。

 趣味ではあっても、その世界に何年もいなければ、永遠の初心者なのだ。ユーモア小説の作者は、どうやってパターンを見つけるのだろうか。阿刀田高くんが「ユーモア小説の書き方」といった本を出していたので読んでみると、パターンはあるようでない。また、使いまわしが出来ないので、一回使えば、もう二度と使うことが出来ないものなのだ。

「ミステリーを書く 10のステップ」なる本も読んでみると、似たようなことが書いてある。名探偵の物語で、最後にどんでん返しのような推理を披露できるのは、ギリギリまでネタを明かさないことが大事だと。肝心なことは、明らかにしなのもテクニックなのだ。

2024-03-20

「句読点は打たぬ」近年の人たち

 新聞などを読んでいれば、時に目に飛び込んでくる記事がある。近年は若者の間で「句読点を打たぬ」人たちがいるらしいのだ。どうりで、たまにネット記事を読んでいると句読点ではなく、単に空白スペースの「 」を入れているだけで、これが実に読みにくい。

 使っているような人たちは、たぶん高校生以下の連中だろう。いろいろな連中がいるからね。大学生ともなればレポートや論文など書いたものを提出すた場合、句読点を付けづに書いたら試験採点者は読む前に廃棄だ。加えて就職試験ともなれば、必ずといってよいほど作文があるだろうから、句読点なしの文章など書こうものならクズカゴ行きだな。

 佐渡市の知り合いにウイスキーを送ったことがある。酒屋の配送係が「さわたりし……ですね」と読んだからビックリした。地名の読み違えは誰にでもあるものだから気にはしないが、広告文や見出しならともかく、句読点なしの文章を書くのがトレンドとは驚きよ。

2024-03-19

地図でも「空想地図」というカテゴリー

 真面目に取り組んでいるときは、ラジオを聴いていても耳に入らぬが、フッと気を緩めたときは案外と面白い話が耳に飛び込んでくる。先日も「空想地図」の作者がインタビューを受けていた。空想地図とはいっても、RPGゲームに毛の生えたようなもんだろう。

 心にわだかまりが残っていたので、思い切って検索してみた。そうしたらGoogleマップで見るような地図の画面があるではないか。「空想都市『中村市』」の地図だそうで、これにはちょっと驚いた。チビッコの宝物を埋めた地図のようなイラストではない。一見すれば、大人でも本物と見間違ってマップを拡大縮小するガイドがないと思うのではないか。

 恐るべし「空想地図」。各地の地名を知っていたにしても、だままだ知らない地域があると思ってしまうほどの出来栄えなのだ。入門レベルから何回もの練習が必要だけど、何より大事なことは縮尺を設定しなけばならぬ。基本的なことから、初めねばならんな。

2024-03-18

「読書の行」なんてのがあるのか……

 キリスト教、仏教、イスラム教といった伝統的な宗教のほかに、世界には数え切れぬほどの民族宗教が存在する。中世時代にヨーロッパで生まれたらしい神秘主義といわれるものにいたっては、魅力もあるけど進むべき道は自分で見つけねばならぬらしいのだ。

 神秘主義の解説を読んでいたら、そのなかに「読書の行」というのが存在するらしい。詳細を解説している本などあるわけがなく、図書館へ行けば誰も読む人がなく、ぽつんと存在しているような本を読むことか。パラパラとめくったことがあるけど、難解で即座に本棚へもどす。それが読めるようになるのは、「読書の行」を積まねばならぬのだな。

 伝統的な宗教だって経典の暗記というものがある。覚えて考えて、その中から己の進路を切り開いていくのが修行。そういう展開が「読書の行」のひとつなのだろうか。スタートは、まず概要を知ることから始まるわけだから、読むという学習は必要なんだよなぁ。

2024-03-15

有名作家のもう一つの才能

 有名作家となった人たちは、作家としてのスタート時代にさまざまなエピソードを抱えている。有名企業に就職が決まったものの、初出社前に考え直し、そのまま作家生活に入り苦労する人も数多い。このように職業選択といのは、本来むずかしいものなのだ。

 ジュール・ヴェルヌくんの「海底二万里」を読んでいて思ったのは、ノーチラス号の艦長が面倒な話をすることだ。巻末の解説を読んでいて、さまざまな単位を使っていることが述べられている。大きさの寸法を述べる場合にも、縦横それぞれで違った単位を用いているという。しかも標準的に用いられている単位ではなく、古代の単位すらも使ってる。

 いまなら電卓もあるから簡単に計算もできる。でも手書き計算が主流の時代、特にヴェルヌくんの頃には計算尺などはあったのだろうか。江戸時代の天才数学者、関和孝くんは算木を使って高等数学の計算をしていたというから、何らかの手法があったのだろうな。

2024-03-14

焼き芋屋の屋台

 賢者という人物は昔からいるもので、著作権の切れた彼らの書物をパソコンで読むことができるのが「青空文庫」。1年に2~3回ぐらいはミステリーなどを読んでいる。すべてではないけれど、現代のミステリーと比べる話のテンポが大きく異なるのを感じる。

 青空文庫で読めるのが、随筆家としても名を残す寺田寅彦くんの作品だ。その中に「物売りの声」というのがある。読んでいて思ったのは、現代では物売りの声など聞いたこともない。イベント会場内ではともかく、もはや聞くこともないのだ。冬の代表的なおやつといえば焼き芋だが、いまやスーバーなどで売っているし、買ってきたらレンジでチン。

 なぜ、焼き芋の屋台がなくなったのか。季節商品というのもあるけど、何年も前に買ったときは思った以上高額で、おやつと呼べるような代物ではなくなっている。元朝詣りの参道には、たくさんの屋台があるけど、その中に焼き芋屋なんてあったな。記憶にないぞ。

2024-03-13

同好の趣味の人を探す

 このごろあまり聞かないけど、さまざなな面で「断捨離」がブームとなった。検索してみると、「不要な物を断ち切り、物への執着心をなくすことで、身軽で快適な生活や人生を手に入れようとする考え方のこと」なんだそうだ。断捨離に踊らされる人は多かったな。

 不要になったものは、誰だったて廃棄する。でも、そこは中古品を扱う業者側が数段上で、安く買い取り高く売るテクニックに優れているから、たとえば神保町の古本屋に売るのだって希望価格にははるかに及ばない。金を持っていそうな人へ売る場合、同じような趣味を持っている人を探すわけで、同好の趣味人というのは案外簡単に見つかるものだ。

 カメラの特殊用途レンズを中古品カメラ専門店へ売ろうとしたことがある。20数万円もするレンズだったのに、買取価格はわすか2~3万円。理由を聞いてみると、需要がないので売れないんだとさ。半額ほどでネットで売ったけど、必要な人を探すのはネットだね。

2024-03-12

ストレス解消法としての落語

 初めて寄席で落語を聞いたのは、友人に連れて行かれた大学生時代だった。落語と落語の間に入る色物(漫才、手品、曲芸など)も楽しいのだが、ヘタクソな演者だと客からの失笑を買う。空間にものを浮かべるマジックだと、操作用の透明な糸まで見えたからね。

 ラジオやCDなどで、ベテラン落語家の話を聞いてみるのだが、いまひとつ面白くない。気分が乗らない、いや気分が出てこないというのが正解かな。なんでだろうと考えてみると、たぶん場の雰囲気だろう。寄席へ行けば、寄席なりの雰囲気がある。落語家でもベテランともなると、その場の気分を盛り上げるテクニックがうまいとしかいえないのだ。

 地方大学の落語部の落語を聞いたことがある。演者は面白がっているが、聞いている方はちっとも面白くない。たとえ同じネタでも長続きする方法を身につけるには、やはり修行が必要なのだろう。〝トリ〟まで到達するには、どういう方法かは知らないけれどね。

2024-03-11

「ちゃんこ鍋」を忘れていた

 お相撲さんのイメージとして、そのひとつに「ちゃんこ鍋」がある。メリットを調べてみると、野菜の摂取量を多くすることが特徴なんだと。だから、我が家でもチビッコに野菜を食べさせる手段として、この「ちゃんこ鍋」を2週間に一度ぐらいの割合で作る。

 単純になべ料理なのだが、各種バリエーションがあるのだ。いつも寄せ鍋ではお相撲さんだってあきるので、その種類は何10種類もあるらしい。代表的な30種類程度のメニューを発見したのでダウンロードしてあるけど、好みに合うのは5種類ぐらい。相撲部屋制度から発展していったらしいプロレスも、基本的には鍋料理が主力となるのは当然だろう。

 某相撲部屋のホームページが更新されたとき、困ったことにちゃんこ鍋メニューが削除された。復活するようご意見メールまで送ったのになしのつぶて。なにか秘訣でもあったのだろうか。夏場だってちゃんこ鍋を食べると、以外に活力が出てくるものなんだよ。

2024-03-08

己なりの神話を作る

 むかしながらの神話を読んでいると、登場するケースが多いのは「龍」。竜ともドラゴンなどいろいろないい方があるけど、洋の東西を問わずに出てくる。なぜかと思って検索してみると、どうやら「水」に関係があるようなのだ。水=龍、なるほどと納得する。

 面白そうな神話というものは、だいたいが創作なのだ。ならば、こちらも独自の神話を作ってみようではないか。精霊といわれる妖精が中心ではインパクトが弱い。しばし熟考した結果、「龍」をメインとした方が良いだろいう。世界各地で姿形は多少違ったとしても、神話の中心テーマとして問題はない。龍が登場するなら、神話として通用しそうだ。

 作家の手法の一つに、読者の頭に思い浮かぶような具体的イメージが必要という。現代であれば画像検索し、独自の龍の素案を考えてみる。しばらくするうちに、龍という妄想の世界に入り込んでいる自分を発見した。龍のまえに、まず水を構想してみることだな。

2024-03-07

新たなサンドウイッチの種類

 サンドウイッチの由来を調べてみると、諸君らもすでに知っているようにイギリスのサンドウイッチ伯爵に行きつく。カードゲームに熱中していると、食事の時間すらもったないようで、趣味の時間というのは何らかの物語どころか、産業だって生まれるものだ。

 一口にサンドウイッチといっても、世界に目を向ければさまざまなメニューがあるはず。そこで各国のスタイルを検索してみると、さほど驚くほどの種類があるわけでもない。パンにはさめるものなら、なんでもはさんでしまうので、似たようなものになるのは当然だ。多くの種類があるようで、パンにくるんでしまえば、ひとつのメニューが出来上がる。

 ニューヨークサンドウイッチといったところで、パンに何をはさむかによる。近所のコンビニへ行けば、さほど多くの種類のサンドウイッチがあるわけでないのは、簡単なようで手間がかかるのだ。サンドウイッチ伯爵は、何を挟んで食べていたのだろうねぇ~。

2024-03-06

白樺でも花粉症になるのか……

 暦の上ではもう春らしいが、実感はできないのだ。こんな時期、マスコミやネット記事などを賑わせているのが花粉症。スギやヒノキが原因といわれているが、先日は「白樺で花粉症」という記事を発見した。「えぇ~、白樺でも花粉症になるのか」と驚く。

 植物は繁殖域を広げるため、空中に花粉を漂わせることになる。だから白樺であっても花粉が飛ぶのは当然だが、花粉症の原因のひとつに数えられるまでとは知らなかった。白樺は高原地帯が繁殖域だから、幸いなことに街中では見ることができない。人間が環境から受ける症状は数々あれど、それにしても白樺まで原因に数えられるとは思わなかった。

 歴史上であれば、豊臣秀吉くんは山一面に桜を植えたという。桜で花粉症は発生しなかったのかな。花粉症が話題に上ったところで、植物学者でも医者でもないから対策など分かるわけがない。花粉症は、街中どころか高原地帯でも注意を要する。面倒な時代よ。

2024-03-05

インプット、アウトプットのバランス

「インプット、アウトプットのバランスが大事」。えらい人たちがよく言っていることだ。Blogにもアフィリエイト目的で述べてケースがあるけど、やってみたいというだけで参考になることはひとつもない。他人様に紹介するということは、むずかしいものなのさ。

 積極的にアウトプットせよと勧めているオッチャンがいた。内容をみてみると、アウトプットを積極的に実行していれば、インプットしなければ次はないと言う。なるほどその通りで、取り込んだ内容を頭の中で醸成させなければ新しいことは生まれないのだ。むかしからいわれていることで、そこには三島由紀夫くんのいう「行動」が必要と考える。

 インプットした内容も、行動がなければアウトプットにつながらない。樋口健夫くんが述べている「アイデアマラソン」も実行してみると、ある時期には何も思い浮かばなくなる。それを超えないと次はない。簡単にできることなど何もないのが、現実なのだね~。

2024-03-04

地ウイスキーはいくつある?

 地ビールブームが起こったとき、各地の田舎町に小さなビール工場が建った。ただし、車でしか行けないような場所ばかり。ドライバーは酔っ払い運転が出来ないから、せいぜいお土産で買う程度だったから、あっという間に地ビールブームは消え去ったのだろう。

 ならば、地ビールならぬ地ウイスキーというのは、いくつ存在しているのだろう。大手のウイスキー工場は山間部にあるので、敷地内にレストランはあるけど、なんとガラガラの状態だった。小さなメーカーのウイスキーは確かに近所でも売っているけど、見かけることはあっても何となく買わないな。飲みなれたブランドのウイスキーが一番なのだ。

 日本酒なら都道府県内にいくつもの酒造がある。地酒メーカーは数も多いし、むかしから存在しているので特別なブームにもならぬ。近所に地酒専門店があり、味の好みなどを聞かれ、お勧めの一品を勧められる。そんなスタイルの地ウイスキー専門店はないかな。

2024-03-01

気のきいたセリフの使用方法

 古典にはなるけど、諸君らは長編の「源氏物語」を読んだことはあるか。簡単な要約本なら手にしたことはあるけど、それとて真面目に読んだわけでもない。最初の巻「桐壺」だけで挫折する人が多いらしく、たぶん気のきいたセリフがないことも、その原因かな。

 こんなことを書いたのも、むかしからいわれている格言に「魁より始めよ」がある。意味は何だっけ。検索してみると「言い出した者から実行せよ」ということらしいが、周囲で使われているケースに出会ったことがない。古典とはそんなもん。己でも意味不明な格言やことわざなどは、使わない方が賢明なのだ。ほかの使い方を考え出せば良いだろう。

 メルマガで本の紹介がされているとき、ソニーの開発部門の人が面白いことを述べていた。「失敗は闇から闇へ」、また新製品なら「上司に内緒で作る」。これをもじって「知らないことは闇から闇へ」、使ってみたい台詞は「内緒でBlogに書いてみる」だろうかね。

2024-02-29

ぶ厚い本だった……

 とっくに世を去った著者でも、いまごろになって読んでみたい本がある。ネットの世界だと書名など知らなかった本が見つかるもので、それが古本であるなら概要をチェックしてから買うわけだ。先日も、Amazonから届いた本があまりにもぶ厚いのでビックリした。

 名前しか知らない大宅壮一くんを扱った「マスコミ帝王 裸の大宅壮一」なる評論本だ。ネットで見かけたとき内容はチェックするものの、ページ数までは考えていない。届いた時に思ったのは、かなり厚みがあったので、こんなものを注文したかなと思ったほど。封を開けてみて、己が注文したというのが初めて判明したのだから始末にわるいではないか。

 Amazonで買う場合、通常の知識であれば画像を見ただけで大きさがだいたい判断できる。ところが書籍だと、ページ数までチェックしないと厚さが分からないものだ。てっきり新書または普通の厚みの本だと早合点していたオレ様が悪い。ページ数チェックも必要だな。

2024-02-28

歴史を感じさせない表現方法

 読む人に歴史を感じさせないように表現する方法はないか。一般的な場合、簡単には歴史的事件を表記すればよい。たとえば新聞記事なら、「第二次大戦当時」とか「第二次大戦では」などと読者が年代を簡単に思い浮かべるような記述がある。これも一つの手だ。

 寺田寅彦くんに随筆を読んでいたら、「関東大震災」に関する状況と分析が書いてあった。関東大震災は大正12年に発生したことだが、西暦表記なら1923年のこと。当時ならいくら大災害でも、年数が経過すれば歴史的な災害となる。いまなら西暦と和暦を併記すれば良いわけで、関東大震災の例であるなら「1923(大正12)年」と表記すれば問題はない。

 年代の表記方法は、読者に対して分かりやすく伝えなければならん。西暦で書けば問題はないのかといえば、上記の例でなら震災は1923年として、2回目に書くのなら23年と表現する。こんなことを考えていたら、近年にはPCの2000年問題なんてのがあったなぁ~。

2024-02-27

ふせん(付箋)の使い方は?

 本やノートを読んだりすれば、重要と思われる部分には何らかのマーキングをしておく。しおりやページを折っておくなどいろいろな方法があるけれど、簡単に気軽に実行できるのは「ふせん(付箋)」ではないだろうか。ベタベタ貼り付けるとジャマになるけどね。

 引き出しの中に、この「ふせん」がストックされている。またネット検索すれば、効果的なふせんの貼り方などはゾロゾロ出てこよう。そんな効果の出るようなふせんの使用方法を調べていたら、なんと何種類もの本まであるではないか。あれこれ読んだところで身に付かないので、まずは1冊の本に書いてあることを実行してみることが重要だろう。

 自分にとってのふせんの使い方がある。だったら、ふせんの使い方を解説している本を参考にすればよろしい。気軽に使えるものなら、少しヘンチクリンな方法を持つ人がいる。「こんな面倒な使い方なんてできるか」と思う著者もいるので、そこは注意が必要だ。

2024-02-26

京大式カードを使いこなす第一歩

 文房具屋へ行けば「京大式カード」や「情報カード」が並んでいる。両者とも似たようなスタイルのカードだが、レイアウトなど細かい部分で違いがあるのは当然だ。京大式カードはストックも保存用のケースもあるのに、このごろはほとんど使っていない。

 使いこなす方法を考えねばならん。小さく始めて大きく育てるのがベストというわけで、これまで読書ノートに書いてきたことを、ともかく京大式カードに書くことにした。ノートに書いていると、途中で中断されることはよくある。こうなると気分も悪くなるけど、カードに一項目ずつ書いていればそんな心配もない。まずはやってみることだな。

 黄色のダーマトグラフで線を引いた本の部分を読書ノートに記述することが、カード方式にすると中断されても楽なことに驚いた。ネットでよく見られる面倒な方法より、次につながる方法ではないのかと納得する。とにかく、1~2ヵ月ほど試してみることだ。

2024-02-23

「づつ」と「ずつ」、どう違う?

 以前から何回も書いていると思うけど、文章で「・・・づつ」と「・・・ずつ」とがある。最近の新聞を読むと「・・・ずつ」が使われているけど、本を読んでいれば「・・・づつ」という記述も散見される。そもそも「づつ」と「ずつ」はどう違うのだろうか。

 検索してみると、同じような疑問を持っている人は多い。だけど面倒な解説が多く、分かったような分からないような解説ばかり。こういうときは、自分で納得できるような説明を探すに限る。そうしたら「づつ」は歴史的仮名遣い、「ずつ」は現代仮名遣いと掲載されていた。さらに「づつ」は国語辞典に掲載されていないとも述べられているぞ。

 掲載もされていないというのは本当だろうか。改めて国語辞典を引いてみると、載っていないのはもちろんだが、以前にも調べた形跡がある。説明というのは納得できる出来ないは重要だけど、それにしても面倒な解説が多いのはどうしてだろうと思うのだった。

2024-02-22

本に書いてあることを実行してみると……

 教本を買い、それに従って実行してみる。例えば、コンピュータのプログラムなんかは書かれている通りに実行しているのに、何度やっても結果はエラー。再チェックしても間違いはないはずだが、ともかく動かない。こういう時は出版社に質問してみるしかない。

 著者から「間違ってました」と返信が来る。当然ながら、正しい手法を書いてきたのは当然だ。とある言語の教本では、練習問題の回答が間違っていたこともあった。著者からは正解が来たけど、教本なのだからサイトにでも正誤表を載せておいてほしいものだな。でも、著者からは「正誤表掲載は拒否する」などというふざけた返信が来たりする。

 そうかと思えば、復習の方法について質問したこともある。この著者は、数年に一度ほどは「きちんと実行しているか?」とメールが来るので、こちらものんびりは出来ないのだ。本の著者に質問はしてみるものだが、ジャンクメールと思われていたりして……。

2024-02-21

京大式カードを使うのは停滞気味

 梅棹忠夫くんの著書「知的生産の技術」は、いまでも売れているらしい。古典になったとはいえ、その中で今でも使う人が多いのは「京大式カード」だろう。何日か前、文房具屋へ行ったら「京大式カード」ではなく、コクヨの「情報カード」が中心となっていた。

「京大式カード」は流行っていたはずなのに。「情報カード」が主力になったのは、メーカーの営業努力によるものなのだろうか。パソコンが主流となっても、新しい発想やテーマをまとめるには、やはりカード方式なのだろう。ただし、使いこなすのはとても面倒で、デスク脇の書棚に開封すらしていない京大式カードが2セットも鎮座しているから困る。

 思い立ったが吉日というではないか。さっそく使おうと思ったが、テーマが思い浮かばん。梅棹くんは〝カードをくる〟と新しい展開が思いつくといっていたが、オレ様の場合は、それ以前の問題だな。面倒なことをしないと、大きな成果は生まれないものなのだ。

2024-02-20

「春」という季節の訪れ

 新聞を読まない人もいるようだが、それはともかく今月初めから社会面には「春一番」や「花粉症」という記事を見かける。ランニングをしていると面倒な風だと思うのは春一番で、特に川岸だと上下流のどちらの方向へ向かっても抵抗となるからツライのだ。

 一方、花粉症はどうか。対策用マスクを着用しながら走っている人は、まだ見かけない。花粉症の原因はスギなどの花粉といわれるが、そのため雑木林を増やせという意見をよく聞く。ラジオで住宅建築家の話を聞いていたら、スギという木材は使い勝手が良いなどとアピールしていた。住宅と花粉症、それぞれの意見を聞いていると軍配を上げかねる。

 季節の変わり目には、それぞれの対策が必要だ。花粉症なら医薬品があるけど、春一番での対策は何だろう。春一番のような強風が吹いている時、走っていても前に進めない日があった。ウォーキングをしているオバチャンなんか、風にもてあそばれていたなぁ~。

2024-02-19

プラネタリウムの観客動員

 チビッコから「プラネタリウムを観たい」とのリクエストがあったので、先週末は久しぶりに天文台を訪れたのだった。機種も最新型に変更されていたようで、大人向けチビッコ向けまで幅広い年齢層に向けた番組展開ができる。こちらが観たのも大人向け番組だ。

 天文台は空気が澄んで星空がきれいに観える場所に設置されている。当然だろう。でもなぁ~と思うことは、プラネタリウムだけなら観客を動員しやすい場所に設置すればいいのではないか。渋谷の五島プラネタリウムは観客も多く、長蛇の列が毎回できているので観るのも大変だった。閉館となったのは、どさまざまな事情があったのかなと考える。

 過去から思っているのは、もっと観に行きやすい場所にプラネタリウムを設置すればいいのにということ。部分改修ならともかく、5年に一度の大規模改修であれば十分に対応できるはず。問題は資金なんだろう。オレ様では対応できんので、ただ観るだけなのさ。

2024-02-16

何度もいうけど「継続は力なり」なのだ

 イギリスには大昔、チャーチルくんという人物がいた。彼の語った言葉は今でも新聞に掲載される。「成功は決定的でなく、失敗は致命的でもない。続ける勇気こそ重要である」とね。すばらしいのだけど、同じようなことは同時代ごろに日本人も語っていた。

 明治のころ生を受けた住岡夜晃くんという人物だ。彼が語った中に「継続は力なり」というセリフがある。Blogなどへ何度も載せているけど、その全文は下記に載っているから読んで見たまえ。国は違っても同時代には似たようなことを考えている人がいるもので、特許争いなんかではよく見られる。ユングくんはシンクロニシティと語っていたけどね。

 有名人の展開で、同じ概念を過去にも語られたことはないのかと探してみた時期がある。そうすると実にたくさんあるのだ。むかし読んだ「アイデアのつくり方」にも、その展開手法が述べられている。簡単には、考えていると「天から降ってくる」というからなぁ。


2024-02-15

A5ノートを買うなら5冊セット

 数字のからくりというのは不思議なもので、占いにだって数秘術なんてものがある。先日も三脚や3本の矢のたとえ話にも出てくるように、「3」という数値は安定を表現するらしい。それならば、オレ様が好む「5」という数字は、何を表現させるのだろう。

 ノートを買う場合、いちいち買いに行くのも面倒なので5冊セットで買っている。それもぶ厚い70ページのA5タイプで、見開きで広げればA4スタイルとして使えるからね。いつもセットで買うわけだが、常備されていないので、わざわざ注文して2~3日後に受けとりに行かねばならん。まとめ買いというのは便利だから、実行している人も多い。

 入学試験で5教科という教科数があるくらい、社会には「5」で表現するケースが多いのだ。オレ様の場合は単に好みであるけれど、それが己にベストであるならそれでいいではないか。インスタントラーメンだって5個セットを売っているのだから、悪くないぞ。

2024-02-14

「魔境」という世界

 禅でいう座禅の世界。この世界で昔からいわれていることに、「魔境」という精神的な関門がある。精神集中を続けていると突然のように輝かしい世界が夢のように出現し、未来のことが判明した気分となるのだ。簡単には、精神的におかしくなってしまうことだね。

 宗教ばかりではない。瞑想をしていても、同じような世界に入り込む。一時期瞑想に凝っていたオレ様も、寝ていると突然のように部屋の中が光に満たされ、見たいものの前に移動できてしまったりする。宇宙空間に行きたいと思えば暗黒空間の世界にも行ける。西洋世界では「低次元アストラル界」というらしい。まさに洋の東西を問わないものなのだ。

 瞑想世界の本を読んでいたら、西洋の偉い指導者は「低次元を超えよ!」といっているらしい。では、どうすればいいのかとなると、これまたよく分からない。禅の世界では徹底的に無視することらしく、「魔境」を超えなければ次のステージには到達できないのさ。

2024-02-13

使い勝手の良いペンシルグリップ

 近郊の大型文房具専門店へ駆けつけたのだった。買いたかったものはすぐ見つかったのだけど、一緒に連れていったカミサンは「頭がクルクルする」などと言い、あれこれと買い物をする。こちらも欲しかった文具を探していたら、なんと発見したのだった。

 それはペンだこ防止用のペンシルグリップだ。パソコン主流とはいっても、ノートに手書きだってする。そうするとペンだこが痛くなり、数年以上も悩んでいた。対策用のシャープペンや100円ショップのグリップも持っているけど、使用感がいま一つ。検索すると専用グリップを発見したが、あまりにも安価だから通販では郵送費の方が高くなる。

 即座に購入し、使い込んでいる4本のシャープペンに装着。ペンだこ対策用のペンはどうしても太いグリップになってしまうのだが、さほど太くもない。こればかりは個人差があるだろうから、オレ様がベストだと思っても、他人様も良いとは限らないからね。

2024-02-12

鹿児島の「西郷どん」

 新聞を読んでいたら、鹿児島県の観光案内が載っていた。記事のひとつだから単なる観光ガイドではないのは当然だ。そこに観光ガイドのインタビューがあったけど、そのオッチャンは、よく見かけるような西郷隆盛風の着流し姿ではないか。まだ、いたのか……。

 西郷隆盛といえば幕末から明治にかけての英雄だが、鹿児島ではいまでも「西郷どん」と親しまれているようだ。鹿児島へ出張に行ったとき、名物〝流しそうめん〟の店へ連れていってもらったが、ほかにも観光客はいた。でも観光案内をしているガイド役のオッチャンは、なんと西郷どん風の着流し姿だったのだ。そんな記憶が蘇ってきたのだった。

 上野公園の犬を連れた西郷どんの銅像は着流し姿。着流し姿か浴衣姿というのかは分からぬけど、今のガイドも同じ姿なのだ。過去の武将をマネした武将隊というのは、いまや観光などのガイド役だけど、その先鞭をつけるような「西郷どん」は昔から存在していた。

2024-02-09

雑学を語るチャンス

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」は徳川家康。「鳴かぬなら鳴かせてみせるホトトギス」は豊臣秀吉、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」は織田信長。誰もが知っている戦国時代の三大武将を表す俳句だ。でも、この句を誰が作ったのか知っているかね。

 なんと江戸時代後期に書かれた随筆「甲子夜話(かっしやわ)」に出てくるという。ある人が肥前の国(長崎県)の平戸藩主の松浦静山を訪問したとき、「贈ったホトトギスが鳴かなかったとき、三英傑ならどう表現するか?」と尋ねたらしい。そこで松浦くんは俳句で表現したのだ。なるほど、この書物に出てくるのか。ひとつおりこうさんになった。

「甲子夜話」は今でも岩波文庫で読めるようだ。当然ながら現代語訳で書かれているだろうから、抵抗なく読めるとは思う。でもなぁ、雑学知識が増えたところで、それを効果的に使えるのは何年かに一度ぐらいのもんだ。オレ様には、そのチャンスもないだろう。

2024-02-08

筆ペンを使ってみる行動

 パソコンを使うことが主力になっていても、日常的にはシャープペンやボールペンだって使う。また、万年筆を使ってみようというサイトもたくさんあるけど、中にはもっと恐ろしいことを語っている人がいた。それは「筆ペンを使ってみよう」という主張だ。

 書道家やデザイナーならともかく、一般人が筆ペンを使う機会はほとんどない。と思ったが、筆ペンをコンビニでも売っているのだから、やはり使っている人は多いのだろう。日常的に使うなら、いや他人に見せるなら恥ずかしくないレベルまでには達したい。それには、まず何度も書く練習をしなければならない。チラシを練習用紙として使えるな。

 過去の記憶がよみがえってきた。以前も筆ペンで書く練習をしたことがあるけど、2~3日で飽きたのだ。当時の意気込みだけは評価も出来ようが、それから達すべきレベルを考えておかないと、安価な筆ペンとはいえゴミになってしまう。やはり、止めておこう。

2024-02-07

「肉まん」と「豚まん」

 似たようなものでも、地域ごとに異なる名称が世の中にはあるもの。同じ中華まんでも「肉まん」と「豚まん」が存在する。かなり前、関西出身者から「おみやげだぁ~」と言って「豚まん」をもらったことがあった。驚いたことは「でかい……」ということ。

 大きさが異なるぐらいかと思ったものだが、専門家でもないから実際のところはよく分からん。ただ、東西の地域ではボリュウーム感も違うということはバカでも分かる。関西方面へは何度も出かけているけれど、シーズンであるはずの冬場にはなぜか機会がゼロ。横浜の中華街なら夏場も店頭で見かけるから、季節を問わずに売れているのだろう。

 冬場であれば、コンビニだって店頭で売っている。「肉まん」と「豚まん」の違いは、詳しく述べる人に任せておいて、一般人は舌つづみを打ちながら食べればよい。さまざま違いなら、たぶん「美味しんぼ」の山岡士郎くんらに任せておけばよろしいと考える。

2024-02-06

ワインの選び方は不明

 なかなか稼げない世界というものがあり、詩人というのもその一つかな。19世紀初頭のイギリスの詩人、ジョン・キーツくんは「本、ワイン、果物、良い天気とちょっとした音楽をください」と語ったらしい。気になったのはは〝ワイン〟という一言なのだった。

 この一言に接して、思わずワインを買いに走った。普段はウイスキーをトワイスアップというかハーフロックで楽しむが、たまにはワインもいい。それにしてもワインというのは種類があり過ぎる。考えてみれば日本酒も各県ごとに銘柄が存在するわけで、同じようにワイナリーごとの銘柄があっても不思議でもないし、味を楽しむほどの者でもない。

 2000円未満のワインを選ぶにしても、赤と白でまた迷う。ワインの本も何冊か読んだことがあるけど、手の出せない高額商品ばかりを知ったところで参考にもならぬ。007ではないのだ。ワインバーへも行ったことがあるけど、そこの一般品の銘柄は何だろうね。

2024-02-05

読書ノートのポイント?!

 ネットで語られるテーマに、読書ノートのつくり方というのがある。いまはどうなっているのだろうと思い読んでみると、いやはや微に入り細に入りの項目が並んでいるではないか。これではデータ項目を記入するだけでも時間がかかり、たぶん長続きしない。

 読書ノートというのは、学校のテストや資格試験の勉強のためじゃない。しばらく前、ある人の読書ノートのつくり方というサイトを見つけた。書名、著者、出版社の3項目だけを最初に記入し、ノートの見開き2ページに気に入った内容だけをまとめる。記入ページ数は多くとも4ページまで。実行してみると、なるほど気に入った項目だけならできる。

 ポイントの絞り方も課題だ。これはと思うところは、黄色のダーマトグラフで線を引いている。これが多くなると、どれを選択して書き込むかをチェックせねばならん。結果的に、ノートに書き込むまでの選択も必要になり、以外と時間がかかるのでとても困る。

2024-02-02

節分に欠かせない「豆」

 いまの時期、スーパーに立ち寄ると節分コーナーが設置されている。チビッコ用のものから一般用まで「豆」が各種そろっているのだ。何日か前からあったのだが、たまにはウイスキーのツマミとして節分用の豆も悪くないと思う。節分が過ぎれば投げ売りだな。

 邪気を払うのが節分らしいけど、詳しい文化の説明ならネットにくさるほど掲載されているから、そちらを読んでくれ。ともかく新しい季節を迎える祭事らしいけど、西洋の星占いも2~3月あたりで一巡する。生活文化というより、農耕文化を支える方法のひとつに違いない。節分が祭として時期を伝えるのなら、暦を知らせる仕事というものあった。

 チビッコがバブバブしているころ、近所の大きな神社で節分祭があった。スタッフは鬼の着ぐるみ姿だし、関連イベントだって盛りだくさん。それにしても小さな神社は、なぁ~んにもしておらんな。神社の大小で祭事の動向も異なってくるのは、たぶん費用だ。

2024-02-01

ノートの歴史は不明

 レオナルド・ダ・ビンチくんにあこがれて、エジソンくんはノートにアイデアを書き込んでいたそうだ。パソコンに記録を保存できる現代は、便利だけど読み直しはとても面倒。また、実験結果は印刷して保存している研究者もいるが、どのようにまとめているのかね。

 昔も今も紙やノートに記録などを書きつけていたわけだが、そもそもノートはいつごろ開発されたものだろう。江戸時代の大福帳もひとつのノートと考えるなら、紙は貴重品であったにしてもノートのようなものは存在したわけだ。ノートメーカーなら歴史が書かれているかなと思ったけど、そんなページはない。こうしてムダな1時間ほどを過ごす。

 ダ・ビンチくんの記録をまとめた本がある。上下2巻だが、上巻の半分だけ読んでいるうちに飽きた。ノートがなかった時代だから、いまは項目別に整理されているけど一般人が読んでもつまらない。ノートが誕生した歴史は、オレ様には課題が大きすぎるのさ。

2024-01-31

プラネタリウム鑑賞のリクエスト

 チビッコから思わぬリクエストがあった。それはプラネタリウム鑑賞。平日昼間はチビッコ向けの番組が中心だけど、土曜日の18:00と19:00からの2回は大人向けの番組になる。難点は、プラネタリウムを設置する天文台へは車で1時間ほどの郊外にあることだ。

 プラネタリウムを見なくなったのは新型コロナウイルスの流行にある。その時期は閉館していたのだろうし、こちらも行こうとは考えなかった。通常の展開にもどったのだから、見に行くのもよかろう。ネットで検索すると、1回目は「POION's PLALIST」、2回目は「スマホで星空撮影 in プラネタリウム」。どちらの上映を選択するか迷うではないか。

 コロナ禍の前は、街中に広い敷地があればプラネタリウム施設を展開するグループがあったな。このごろ聞かぬのはコロナ禍の影響だったのかな。いまではチビッコが「プラネタリウムを見たぁ~い」と騒ぎだすのも当然だ。でも、館内はマスクが必要だと思う。

2024-01-30

PDCAサイクルは古くない

 つらつらとネットやメルマガなどを読む日々だが、そこに「PDCAサイクルは古い考え方」などと知った風なことを述べている人がいる。PDCAについては何度か書いているけど、Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)の展開方法だ。

 時代ごとに新しい概念はくさるほど考え出されている。今までのやり方に少しばかり展開法を変更したようなもので、それが現代風ビジネスの考え方だという。確かにそうなのだろうが、作業が面倒になるばかりではないのかね。新しい手法など簡単に出てくるものではなく、PDCA展開でいうAction(対策・改善)の中で生まれるものだと思うのさ。

 発想のタネというものを考え出したオッチャンがいる。「転用」「応用」「変更」「代用」「結合」「拡大」「縮小」「再利用」「逆転」という9通りの考え方で、それぞれの項目の下には具体的な方法が並ぶ。9通りの方法というとマンダラートみたいだぞ。

2024-01-29

1万時間の展開方法

 何事であろうと、その世界で有名になるには1万時間の練習が必要だという。昔からいわれていたことだが、先日もメルマガを読んでいたら「1万時間の展開」について述べられていた。またかよと思うのも当然で、1万時間の展開方法を電卓片手に計算してみた。

 1万時間を365日で割れば約27時間。1日は24時間なのだから、そもそもできるわけがない。だったら1万時間を2年間の730日で分割してみると、だいたい約13時間。これでも多すぎる。ならば1万時間を0.5時間(30分間)で分割してみるとなどと考えたが、なんだか頭の中がクルクルとしてきて崩壊しそうだ。アホな計算はやめておかねばならぬ。

 ベテランになるには10年間ほどが必要だといわれている。1日に約2時間ほどのトレーニングとすれば出来ないことはない。お仕事やスポーツの世界でも、やはり長年にわたる練習時間が必要なのだ。さまざまな分野の一流ステージに、オレ様が立てるわけがない。

2024-01-26

ぎっくり足首???

 昨日、いつものようにランニングへ出かけると、走り始めの1Kmほどは足首に違和感を覚えた。雪道だったが続けていると、そんな違和感も解消。ところが夜中の3時ごろ足首が急に痛み出したので、しばらくはガマンしていたけど、結局はサロンパスを貼り付ける。

 一般的な部分的痛みに「ぎっくり腰」というのがあるけど、こちらは「ぎっくり足首(?)」だ。困ったときは、いつものようにネット検索。痛みの原因はほとんどの場合が筋肉の損傷ということらしい。特に冬場、同じ姿勢でいたのに急に動き始めると出てくるという。対処法は、まず安静でいること。次に大事なのがアイシングなんだってさ。

 常備薬として、簡単な湿布薬なら買ってある。チビッコどもも捻挫やケガが多かったので、何種類かを買っておいたので助かった。炎症を最小限に抑えることで、完治までの期間も短くなるという。急激に寒くなったので、体温調整がたぶん出来なかったのだな。

2024-01-25

名刺専用のケース

 お仕事をやっていれば、たいていは名刺を持っている。それどころか趣味用の名刺まであるので、さまざまな分野の専用名刺があるものだ。パソコンとプリンターがあれば自分で簡単に作成できるし、文具店どころか電器店へ行けば各種の専用用紙だってそろう。

 最近気づいたことは、名刺用ケースがないことだ。デスクの引き出しの中で小物を区分けしておくには、そのプスチックケースが便利に使えたのに……。たくさんの名刺を必要とする分野の人は限られてくるので、己の名刺は100%の確率でパソコンと印刷機で作成する。名刺専門店へ行くこともないから、専用ケースがないのはもちろんなのだった。

 近所にあったはずの名刺屋など、とっくに閉店している。名刺作成ソフトどころか、用紙メーカーのサイトからはフリーソフトだってダウンロード可能。そうすれば専用用紙が売れるからね。100円ショップへ行って、小物入れ用のケースを探さねばならないなぁ。

2024-01-24

おみくじの種類

 新年に限らず、チビッコを連れて散歩の場合、ヒマつぶしに道沿いにある神社を訪れることがある。車に出会うこともないし、チビッコもワイワイと走り回れるし、大きな神社ともなると飲み物の自販機がある休憩所もあるのだ。難点は、チビッコはすぐ飽きる。

 たまにはチビッコも「おみくじ」をひく。人出の多い正月はともかく、それ以外の時期は参拝者も少なくおみくじ用の自動販売機で買うことになる。吉凶はさまざまだが、いったい何種類ぐらいあるのだろう。また製造業者によっては独自の展開もあるに違いない。ちょっと調べてみたところ、「吉」は何種類かあり「凶」は種類も製作数も少ないそうだ。

 おみくじの歴史だってネットどころか、本まであるのだから驚き。当たるも八卦当たらぬも八卦どころか、結論として不要だという論もくさるほどある。チビッコも引いた時だけはワイワイと騒ぐのだが、神社敷地を出たとたんにきれいさっぱり忘れているものさ。

2024-01-23

タイトルのみ???

 論文や本、電子書籍などでタイトルがあったにしても本文がなかったら、諸君らはどう思う。メールなら件名だけを書いて間違って送ってしまったと思うだろうし、オレ様も1~2回ほど実際にそんなメールを受けとったことがある。ならば、古典の場合はどうか。

 新聞を読んでいたら、コラムに関連することが書いてあった。古典として有名な源氏物語だが、巻名に「雲隠」というのがあるらしいけど、なんと本文がない。物語の大まかなあらすじだけは知っているけど、読んだことがないので何とも言えぬ。1008年ごろに発表されたもののようだから、そもそもなかったのか、それとも失われたのかは不明という。

 現代の小説や記事なら読み直しが行なわれるから、書き忘れということはないだろう。源氏物語が生まれた時代は紙に墨で書かれたものだから、長編の書き直しは出来ないし修正に頭を悩ませるに違いない。つじつま合わせは、オレ様の得意技の一つなんだけどね。

2024-01-22

「懺悔懺悔六根清浄」というかけ声

 低い山であっても、登っていれば呼吸は苦しくなる。ランニング中でもハアハアと息づかいが激しい。運動をしていれば呼吸が乱れてくるには当然だけど、ラクになる呼吸法として、昔から吸う吐くをそれぞれ2回に分けて行うとラクになるといわれている。

 山伏も同じことで、山に登っている時に「さぁーんげさんげ ろっこんしょうじょう(懺悔懺悔六根清浄)」とかけ声をかける。その意味を検索すれば、すぐ分かるだろう。山伏修行に参加したときに山伏に聞いたことがあるけど、内容はともかく、2度に分けて行なう呼吸法のことだと話していた。今も昔も苦しいときの呼吸法は同じだったのだね。

 ランニング中、上り坂にさしかかったときに山伏の呼吸法を何度も試した。でもこれは歩行中に行なう方法で、ランニングなら「フッフ ハッハ」と呼吸した方が良いと改めて思った。それでもラクチンになんかならないので、トレーニングを重ねるしかない。

2024-01-19

短時間睡眠というカテゴリー

 いまやタイトルも忘れたが、4時間睡眠どころか3時間睡眠を勧めている本だった。1日の活動時間を有効に使えるなと思い読んでみると、たとえば昼間に他社を訪れた場合、約束の30分前には訪れる。そして相手が出てくるまで眠り、睡眠時間を確保する。

 20時間連続で書道の練習をしたことも述べられていた。1日でうまくなるわけはないと考えるのだが、実行してみると奇跡のように書ける場合があるらしい。書き終えてから、この著者は眠ったのだろうか。そんな肝心なことは触れられていないのだ。本も初版だけなのは、実行できる者など皆無だろうし、買うのはオレ様のようなアホだけなのだろう。

 90分間隔でレム睡眠とノンレム睡眠のサイクルが訪れるらしい。それを考えるならば、確かに3時間睡眠も出来ないことはないわけだ。日本人は睡眠時間が短すぎると科学雑誌のNewtonで述べられていたが、でもなぁ生活スタイル上、出来ないものは出来んのさ。

2024-01-18

地震予知法としての占術

 年明け早々、能登半島が地震に見舞われた。気象庁や研究者らだって地震観測機器を備えているけれど、どの地域に地震が発生するかなどは予測ができない。せいぜい〝危ない〟と提言する程度。高額な観測機器を持たない一般人は電磁波や雲の観測などで予測する。

 新たな地震予知方法として占い、いわゆる占術はどうだろう。占いに関連する本や団体はくさるほどあるが、地震予知専門の占術は見たことがない。地震が発生すると「予言した通りだ」という占い師が出てくるけれど、どこで語っていたのだろう。一般社会に知らせなければいけないわけで、ノストラダムスの予言だってちゃんと出版されていたのだ。

 新聞雑誌には、たいがい占いコーナーが掲載されている。そこに「〇〇地域は地震があるから危険だ」といった記事は見たこともない。オレ様は密教占星術という本を1冊だけ持っている。これで勉強せねばと考えたが、その前に詳細な九星暦を入手せねばならん。

2024-01-17

カセットテープは安価なのだ

 何年も前からレコードが復活してきているようで、売れるミュージシャンのレコードならメーカーも生産をしている。ただし、レコードプレーヤーは高価なままだ。一方、過去から気軽に使えたカセットテープでアルバムを制作するミュージシャンだっているのだ。

 昨年買ったカセットテープレコーダーは、生産をしている日本のメーカーだってある。ただし、ネットで調べてみると生産しているのは中国のようで、そこが面白くないところだ。カセットテープの良いところは、気軽に録音して聴けるところだろう。ICレコーダーも考えたのだけど、価格と用途を考えれば、やはりカセットテープに軍配が上がる。

 DVD-RWやUSBも便利に使えたのだが、制作はパソコンがなければ話にならない。なぜカセットテープが今でも売っているのかと調べてみたら、世界へと目を広げれば需要はあるらしいのだ。楽天やAmazonで何巻かのパックで売っているから、探してみるべきだね。

2024-01-16

単機能と火

 正月から能登半島は地震に見舞われたけど、地域の人は「あれがないこれがない」と大騒ぎしたことだろう。災害の場合、外部とのつながりができるのは携帯電話。そんな便利な携帯電話だが、東日本大震災の時はすぐに使い切って、充電もできなくなっていたな。

 現在はスマホの時代だ。でも以前の経験からスマホなどの多機能機器は使わないことにした。停電ともなると、アホはすぐに内部電源を使い切ってしまうので、使えなくなる機能は意外と多いことだろう。こうした場合に便利に使えるのは、用途によって使い分けのできる単機能機器だ。でも、現代の電気製品は多機能が主流となっているから困る。

 熟考した結果、もう1台の安価なサブ機器を準備しておけばよい。近年の震災をみてみると、背景には雪がある気候で、寒さに耐える必要がある。サブ機器以上に重要なのは、生きるための「火」だ。暖房や食事などにも、火を扱うテクニックは必要だからね。

2024-01-15

特技が現れる時期

 小中学校の時代、走るのがとても遅い子がいた。ところがトランペットと出会ったら、なんと世間様からも注目される存在となる。「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」というたとえの逆パターンのような存在だが、そんな場合はなんというのだろう。

 新聞がぶ厚いので大事件でもあったのかと思ったら、大学入学共通テストの回答例が掲載されていた。毎年1~3月ごろは受験シーズンなのだが、昔から大天才というのはチビッコのころの話を聞くと、なんと凡才のような存在だったらしい。才能が花ひらくキッカケは何だったのだろう。こればかりは分からぬもので、たぶんテーマとの出会いだろうか。

 成長するにしたがって才能を伸ばす人たちは、過去の賢者に多かった。オレ様もそんな人物なのだろうと思っていたが、その兆しすら見えぬから困ったものよ。世の中には失敗学というカテゴリーがあり、そうした本を読んでみると大失敗なんてものじゃなかった。

2024-01-12

応援歌の「六甲おろし」

 ラジオを聞きながら夜間作業をしていると、嫌いなヤツが番組に出てきたので放送局をすぐ換えた。そちらの局では、昨年優勝した阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」がリクエストにあったではないか。聞きなれた歌だけど、いつごろできたのかと気になる。

 疑問に思ったら、まずはWikipediaだ。そうすると1936年に出てきたものらしい。はるか昔に誕生した曲ではないか。ほかの球団にも応援歌は存在するけど、ラジオのリクエストとしてまで登場するのは、この「六甲おろし」ぐらいなものか。野球シーズンもシーズン外でも、応援歌まで紹介されることは少ない。そう考えれば、恐るべし六甲おろしだ。

 タイガースファンの中に入って、後楽園球場で試合を見たことがむかしある。応援団の連中は陶酔してヨダレも流しているので、ビックリしたもんだ。大阪エリアから応援に来たのかな。甲子園球場で阪神ファンを見たことはないけど、もっと狂気の集団なのかね。

2024-01-11

タツノオトシゴの学名調べ

 新聞には、各種分野の面白い記事がときどき掲載されている。先日も「タツノオトシゴ」についての記事があり、英語では「シーホース」と名づけられているという。寿命は3年程度で、なおかつ生きている生物しか食べないので、飼育はむずかしいらしいのだ。

 和名や英名ではなんと言われていようとかまわないが、学名は何だ。Wikipediaで調べると「Hippocampus」であるらしい。それはいいけど、何と発音するのだ。ラテン語辞書を持ってはいるが、入門用教本の巻末にあった付録だから10ページ程度のもの。また基本的にはローマ字読みで良いらしいから、「ヒッポカンプス」でよろしいのだろうか。

 学名はラテン語だから、ラテン語辞書を買うのを考えたことがある。売れるような辞書じゃないから価格も驚くほどバカ高い。シロウトが買うような辞書じゃないのだ。図書館の辞書コーナーにもなかった記憶があるので、ダブりのない学名には使えるのだろうね。

2024-01-10

南総里見八犬伝のネタ元は何だ

 何がキッカケだったかは思い出せないけど、昨年から「南総里見八犬伝」を読んでいる。本編が上下2巻、要約と解説が1巻という構成。本編は読むのが面倒至極で、まだ読み終えていない。ストーリーは、冒険の中、苗字に「犬」の字が付く〝犬士〟を探すことだ。

 似たようなストーリー構成は世界中にあるもの。どんな願いもかなえるといわれる珠に「如意宝珠」がある。その珠を持つ竜というのは、南方熊楠くんによれば「インドに古く行われた迷信」なんだそうだ。八犬伝も、犬士を探すのに犬の形をした痣を持つ人を見つけるというのがモチーフになった。これは、珠や竜が登場する伝説と似たようなものか。

 八犬伝をヒントに、石ノ森章太郎くんは「サイボーグ009」を描いたらしい。さかのぼっていくなら、曲亭馬琴くんは何をヒントに八犬伝を書いたのだろう。面白い物語のスジを考える作家は大変よ。曲亭馬琴くんも後半になると執筆時間がかかったそうだからね。

2024-01-09

スクラップブックを買いに行く

 諸君らは新聞を読んでいるかな。どの新聞でも構わないけど、一般紙なら政治経済から文化、スポーツ、社会の動きに至るまで、あらゆる分野の記事が掲載されている。たとえば囲碁将棋には興味がないけど、毎日掲載されているということは人気があるのだな。

 チビッコどもは「ネットで(ニュースを)読むから新聞はいらない」などという。確かにそうなのだろう。スクラップブックに興味のある記事を貼り付けてまで読むことは、記憶に残りやすいということなのだ。そんな効果を知って、新聞スクラップに何度かチャレンジしたが長続きしない。続ける秘訣は、興味を持てる分野を持つことを知ったのだ。

 特定分野の記事だけをスクラップしておくと、記憶も長持ちする。もちろん一定期間を過ぎれば忘れるけど、これは誰にでもあること。そのスクラップブックの冊数も20冊に達している。こんなことを書いたのは、ストックがなくなってきたので買いに行くからさ。

2024-01-08

日食や月食

 新しい年を迎えると、天文関連サイトやメルマガで必ず目にするの今年の日食や月食だ。日食は4月と10月にあるのだが、目にすることができるのは残念ながら北米や南米だけ。金環日食も見られる地域もあることだから、現地への航空便はすごく混むんだろうな。

 日食が見られないなら、月食はどうか。本年は9月にあるのだが、残念ながらこれまた日本では見ることができない。でも2025年3月と9月には月食が見られるという。しかしながら、大きく欠けるところまで見られる地域は限られているだろうし、日食ほどのインパクトもない。天体ショーは見られる地域が限られているとしても、天文台は混雑するね。

 地域と天候さえよければ、日食や月食はだれでも見ることができる。また天体望遠鏡の関連広告も増えることだろう。ほとんどの人はそのときだけは興味が出てくるだろうけど、他の期間はどうなんだろう。天体現象は予想ができるけど、観測時期までが長いのだ。

2024-01-05

3本立てキャンドルとエアコン

 マンガや映画では、特別な日にパーティーを開き楽しむシーンが出てくる。テーブルにはオードブルなどが用意され、食事をツマミながらワイワイと語り合う。そこでテーブルを彩るアイテムのひとつがキャンドルだ。こちらもキャンドルでテーブルを飾りたい。

 キャンドル立てを単純に検索すると仏壇用がヒットするので話にならん。多本数のキャンドル立てで検索すると、それらしいものがたくさんヒットする。だけど儀式用の7本立てではロウソクを準備するのも大変だから、せいぜい3本立てがパティー用にちょうどよい。3本立て用はキャンドルも各種そろっており、雰囲気や価格もちょうどよいのだ。

 基本的な問題が頭に浮かんだ。いまやどこでもエアコンが設置されているだろう。そうなると風の流れが出来るから、ロウソクの炎がゆらぎ過ぎて優雅な雰囲気が出てこない。パーティーの雰囲気を家庭でかもし出すのなら、エアコンの動きも考えねばならんぞ。

2024-01-04

再びニキシー管に興味を持つ

 何がきっかけかは忘れたけれど、またもやニキシー管に興味が出てきた。以前、興味が出てきたときは、雑誌の製作記事などもマニア向けだったが、今ではキットもある。ただし、ほとんどが卓上時計。これならインテリア用品として一般人にも売れるのだろう。

 ニキシー管を使ったキットも売っているようだ。難点は、その活用形態が時計に限られていることだ。確かに数字だけを表示する管だから、用途も限られてくるのは当然だろう。電卓に限っても、単なる計算から現在では会計や関数計算まである。また近所の電子工作専門店へ行ったところでキットすらなく、ネットで探すしかないのが現状だからなぁ。

 世の中ではレトロ製品が、現代の技術を使って復活してきている。ニキシー管を使いたいのなら、新たな用途を考えねばならん。思いついたところで、オレ様には電子工作用の工具があるだけ。現実化させる技術がないのだから、単に夢見るオッチャンなのなさ。

2024-01-03

個人の手帳

 スケジューリングは手帳派か、それともパソコン派か。毎年のように話題となっているが、まれに面倒な人もいて、見ているこちらがだいじょうぶかと思ってしまう。それはパソコンでスケジュールを立てているけれど、印刷して持ち歩いているからなのだった。

 年が明けてから書店へは行っていない。1週間ほど過ぎてから行った過去のことだが、手帳選びを行なっている連中がいる。こいつら予定も立てずに行動しているのかと驚いてしまう。スマホなどはお仕事用、手帳は個人用と使い分けているのかな。でも、そんなことを実行していると、忙しく行動している人ならダブルブッキングを起こすことになる。

 オレ様は手帳派。でも日ごとや週間予定のほかに月間スケジュールを別ページに書いていてら、ダブルブッキングを起こしたことがある。野口悠紀雄くんの言うとおり「ポケットはひとつ」なのだ。失敗学があるくらいだから、失敗だってたまには必要なのだな。

2024-01-02

読みたい本は売っていない

 本を読まない人がいるにしても、1年間に1冊も手にしないということはないはず。新聞雑誌の書評、もしくはそこで広告掲載されている本ばかりを本屋は売っている。本が売れていないというから書店へ行けば、欲しい本はほぼ確実にない。Amazonや楽天が主流よ。

 社会の識者が「最近は本が売れていない」と嘆いている。でもなぁ~、読みたいと思っている本が本屋にはないのだよ。マンガだって読むけど、すでにチビッコたちが持っているので借りて読む。魔術や占いも趣味のひとつだが、調べて見つけた本は本屋にないのでネットで買うことになる。己の好みと本屋が売りたい本とでは違いがあり過ぎるのだ。

 考えてみると、むかしからそんなスタイルよ。いまや廃刊となった書評雑誌に「誰も読まないような本を新聞の書評欄に載せるな」と意見を述べて掲載されたことがある。社会一般と己は、昔からズレていたのかな。個人の好みってもんは、人それぞれと思うのさ。

2024-01-01

葉の下に雪をかむらぬ玉椿

 「葉の下に雪をかむらぬ玉椿」。俳人が詠んだ句で「椿の木に雪がつもっている。葉の下には玉のような花が雪を被ることなく鮮やかに咲いている」という意味らしい。今までの「あけましておめでとう」「謹賀新年」などといったあいさつ文より優雅なのだ。

 新年といえば年賀状だけど、いまやネット時代となった。それにふさわしい文句はないだろうかと考えていたのだけど、熟考していたら和歌や俳句がいいのではないかと気づく。
例文などが載っていた古語辞典を探したのだが、どこかへ旅に出たようでなかなか見つからない。そこで検索していて、数ある句の中から選んだのがタイトルの句なのだった。

 江戸時代あたりまではあいさつ回りが主流だった。近代の郵便局はその代わりに年賀状という手法を考案した。大きな時代の流れの中で、その年賀状とてネットに変わりつつある。「新しい革袋には新しい酒を」だったかな、次の時代へ駆け出すことも今や重要さ。