「同じ本を読む人は遠くにいる」。ネットコミュニティー、あるいは新聞雑誌を開けば、必ず本に関する記事や広告は掲載されている。見知らぬ人が出会う場ともなれば、今やネットが中心だ。でも、冒頭のようなセリフが語られるのは、むかしから同じ状況だね。
問題は、目的の本を見つける方法だ。目的や好みは当然ながら人それぞれだから、他人が駄本と言ったところで売れる本は売れる。広告を出稿すれば売れるかというと、そうでもない。全国新聞に出稿してみたら、広告料の割にはその100分の1も売れなかった経験がある。もっとも専門家向けの本だから、たぶん政府刊行物センターでしか売れない本だ。
新刊が出版される発行数は、なんと年間で6万冊以上に達するらしい。街の小さな本屋では並べきれん。そこで注目されるのが、特定分野の専門誌。雑誌も廃刊ばかりではなく、なんと雑誌専門の販売サイトもある時代だ。「同じ雑誌を読む人は遠くにいる」だぞ。
業務日誌#35
「しのご」が日々の業務で気が付いたことを、脈絡なく気ままに書き連ねています。
2026-07-22
本や雑誌の販売もネット時代
2026-07-21
なつかしい「チンドン曲」CDを入手
2枚組の音楽CDを、注文してからほぼ1ヵ月も待って手に入れた。タイトルは「音が遊ぶ♪街が躍る」。ミュージシャンは「かわち家×東京レジエンド楽士」。チンドン屋のチンドン音楽を集めたもので、聞くことも出会うこともなかなかないジャンルなのだ。
ハードロックのようなギンギンした音楽ではないし、クラシックのように高低が幅広いわけでもない。「チンチン ドンドン」と昭和初期のような、なんともなつかしい響き。作曲者不詳の曲も多く、40~50年前の歌謡曲をチンドン風にアレンジした曲もある。唄を聴かせるのではなく、チンドン風の楽曲で人を注目させ集めることが目的の楽曲なのだ。
2023年に出版された「ちんどん屋の響き」も持っている。有名な「竹に雀」の楽譜も載っているが、音楽の素養がないからイメージできないのが悲しい。こうした民族音楽は聞く人も少ないから予約販売のスタイルになるのだ。楽曲を聞くというよりは資料だな。
2026-07-17
「皇紀」はどこで使う?
今年は、なんと「皇紀2686年」という。政府高官が語っていたと新聞記事になっていた。
ふ~ん、それなら使ってやろうじゃないか。役所でさまざまな申請や手続きを行う場合には年月日を書くけど、年の表記に皇紀を使おうではないか。果たして窓口を通るかな。
疑問が湧いたら調べる。高島易断所の「九星本暦」を開いてみたら、なんと「皇紀2686年」と記載されているではないか。占いで九星術を展開する場合、旧暦が必要になるけど、いまや新暦(太陽暦)に換算されている。文化の世界にはさまざまな暦があり、生活者の役に立たねばならん。そうなると皇紀での表記は、どんな場合に使う? 即答できるか。
背景を語るには、なんらかの資料が必要だ。Blogに皇紀の話題を書くにしても高島易断のほか、朝日新聞の用語の手引き、俳句歳時記を開いて調べてみた。ふと気がついて、さらに毎日新聞とムーも開くが、両者に「皇紀」での表記はない。神社ならあるはずだね。
2026-07-16
「100年カレンダー」の思い出
チビッコの時に「100年カレンダー」を買ったことがある。すでに発売後、2~3年ほど過ぎていた。縦150センチ×横80センチほどのサイズだったはずだ。再び手にしたいと考えて検索してみたら、驚くことに「発売禁止」。原因はともかく、仕方ないことだね。
一つのことを、長年にわたって実行できる人など、まずいない。ノーベル賞を受賞したような人でもチビッコ時代はヤンチャで、高校大学時代から専門分野に目覚め、うまく行かない時代も過ごす。ようやく光が見えくるのは、なんと老年時代。そんなエライ人の訃報が新聞に掲載されるけど、ほとんどが100歳以下だ。計画通りに進める人は珍しい。
20年も前に読んでいた雑誌を久しぶりに買ってみた。基本テーマこそ同じであるけど、構成はガラリと変わっている。もし100年カレンダーを使い続けていたら、時代の変化に気づけたかな。そもそも100年も生きている人間など、新聞記事になるくらいだしね。
2026-07-15
「相手の反応」が記事になる
毎日のように生成AIに関する記事が新聞に載っている。ネット検索でも「AIによる概要」がトップ表示だ。生成AIに関する知識や活用方法の資格試験まで行なわれているというから、驚くではないか。一般人でも生きていく上で、避けては通れぬ道なんだな。
いまや「AIにまかせればOK」という世界。新聞の場合、実際の〝場面〟を書くから現実味が出てくる。場面とはなんだろう? 会話やしぐさらしい。記事に「~と述べた」「静まり返った」というときかな。テレビ報道で近所の声が放送されるけど、ネットには何ヵ所にも出てくる〝芸人〟がいるらしく、証拠の画像まであるからすさまじいもんだ。
「北海道に帰ろう。帰ってゆっくり考えよう」なんてシーンに出くわしたことがある。炭坑労働者の気勢に社会党の議員も出る言葉もなく、静まり返っていた時だ。反応といっても「シーン」だけじゃ話にならん。記事にもできん。どう書いか、とっくに忘れた。
2026-07-14
「ゆっくり走る」というアドバイス
街中をハアハアしながら走っていると、歩いているより少し早い程度で走るオバチャンがいる。ゆっくり走っていて運動効果はあるのだろうか? そんな思いがよぎる。もちろんスピードは人それぞれだから、とやかく言う必要はないが、遠い過去を思い出した。
マラソンやトライアスロンに初めて参加したとき、いろいろな教本を読んだ。マフェトン理論の心拍数でトレーニング強度を決めると、120拍/分では高すぎる。大会参加時はともかく、練習では115拍/分まで落とした。真面目にやっていなかったから、効果が出てきたのは1年半後。こんな心拍数でも走るスピードが上がっているから驚くのさ。
当時は「ゆっくり走れば早くなる」「42.195キロへの挑戦」なんて本も読んだなぁ。教本通りにトレーニングするには、自分の気持ちをコントロールする必要がある。ゆっくり走る効果のほどは経験として持っているけど、続けるのがシロウトにはむずかしいのさ。
2026-07-13
海外の作文試験はどのようなもの?
新聞のカコミ記事を読んでいてビックリした。イタリアではジャーナリストになるための試験があるという。どんな試験かな? ちょっと気になるではないか。ネットで検索するなら、考えられるキーワードをいくつも並べれば発見できるかもしれないとは思う。
日本でも状況は同じだ。どんな会社の入社試験でも一般常識はあるし、ジャーナリストなら文章力を試す作文は必須だろう。テーマを与えて800~1200字の作文を書かせれば、おおよその頭脳程度は判明する。はやりの生成AIに任せたところで、データや物語性などは出力できるかな。他人を感動させる作文を書くには、「練習以外にない」だろう。
就職試験には作文がつきものだ。カンニングのプロだったにしても、作文は無理。イタリアでも日本と似たような状況だろう。だとするなら、ジャーナリストのいない国はないので、各国にも作文の教科書はあるはず。海外の作文は「5W1H」が基本らしいからね。

