2025-12-12

「禅」と「ZEN」の世界

 エッセイで古典となったものに、小田実くんの「何でも見てやろう」がある。1950年代後半、米国に留学した体験を語ったものだ。「古典を読むことは重要」とエライ人は言う。ならば、これも古典の部類の本だろうと勝手に考え、Amazonで古本を買ってみたのさ。

 日本でなら「禅」。そのころの米国では「ZEN」だったという。教養のある連中はともかく、スラム街のその日暮らしのような連中ですら知っていた。恐るべしは「禅」、いや「ZEN」だ。ZENの何が魅力的だったのだろう。今でこそマインドフルネスといった手法まで米国では出てきている。これは禅から仏教思想を取り除いたものかと勝手に考える。

 ヨーロッパで初めて禅を紹介したとき、「何の役に立つのか」と聞かれ、「役には立たん」と答えたのは鈴木大拙くんだったと記憶している。ひらめきが生まれるには修行時代が必要だ。禅でもZENでも良いが、「無用の用」の世界なのだ。まさに哲学の世界だね。

2025-12-11

「ドラ」を打ち鳴らしたい……

 イベントの冒頭、「ジャーン、ジャァ~ン」と大きな音が響く。ご存じ、大型の「ドラ」だ。まさに映画のワンシーンのようではないか。昨日の新聞で見たのだが、ある会社の発表会でドラを打ち鳴らしている写真である。会場も一瞬のうちに静まり返ったはず。

 イベントでの鳴り物として効果的なドラである。某イベントで直径30センチほどの小さなドラを打ち鳴らしているのに出くわした。こいつはGoodだ。こちらも使ってみたい。イベント用品のカタロを見ると、本体はともかく、台座やバチなどは別料金。補助道具一式ともなると、ちと高額だ。効果的にドラを使うためには、あまりにも金がかかりすぎる。

 結論として、即座にあきらめた。インパクトを演出するための道具はレンタル品でも、目が飛び出るほどではないにしても、それなりの金額が必要なのだ。いつかは大型のドラを打ち鳴らしたい。有名イベントスタッフには縁がないので、一生使うこともないね。

2025-12-10

「それからどうした」も書こう

 テレビ番組ではCMが必ず入る。番組後半が始まると、「それからどうした」のナレーションが冒頭に入るのが定番だった。チビッコのころのアニメで、後半へつなげるための作戦のひとつだろう。番組名は、もう覚えちゃいない。視聴者を離さないための作戦だな。

 新聞を読んでいると、「実証実験を始めた」という記事が載っている。それは良いのだが、結果はどうなったのだろう? 成功したのか、それともコスト上などの理由から効果も見込めないので止めたのか。読者としては「それからどうした?」も知りたいのだ。広告だって、使ってみてからの効果を見せるのも定番のテクニックの一つだろうにと思う。

 先輩記者から、始めた記事ばかりでなく完成後の結果も書けと言われたことがある。なるほど、まさに「それからどうした」なのだ。ネット上の記事にはアフィリエイト目的の記事は実に多い。でも、読者が知りたいのは要不要などの結果だと思うのだけどねぇ~。

2025-12-09

コーヒーは「1日3杯」という習慣

 世の中には、健康に良い悪いという情報がネットにあふれている。こんなのを見ていると、実にアホらしくなってくるのだ。でも、好きなコーヒーを「1日3杯飲め」なんてタイトルを見つけると、つい読んでしまう。何のメリットがあるのか。脂肪肝対策だってさ。

 脂肪肝と言われてもピンとは来ない。肝硬変や肝がんなどに至ってしまう病気という。こちらには関係ないし、昔から1日に2杯はコーヒーを飲んでいる。レギュラーコーヒーとインスタントだが、読んでみるとインスタントでもOKというから驚いたのだ。1日3食が普通のパターンなので、「1日3杯のコーヒー」にしよう。さっそく夕食後もコーヒーだ。

 ヨタ噺などは誰でも信用できない。でも読んでしまい、なおかつ実行までしてしまうのはスポーツ雑誌「Tazan」に掲載されていたからだ。ネット版だけね。ここに掲載されていたから信用してしまう。コーヒーにまつわる話というのは、実に幅広いもんですな。

2025-12-08

書けば「読む」も増えるはず……

 どの新聞でも、読書が減ったとの記事がたまに掲載される。最後には識者らが、決まったように「本を読もう」というコメントだ。読書を増やすには、まず「書かねばならない」と思うのだがね。書くネタを増やすためには、資料となる本を読まねばならない。

 書くか読むかの選択。書くネタを得るには、本や雑誌、新聞などを読む必要がある。まずはメモするだけでも構わないわけで、それにはノートも必要だ。整理するには京大式カード、情報カードなども使うし、その場合には筆記具だって重要なアイテムとなる。読書の前段階へ目を向けてみてはどうか。「書く」という行動は「読む」につながるはず。

 生成AIを使えば、文書は簡単に作成できてしまう現代。どんな課題であっても、ひとつのテーマに対して100人が使えば、不思議なことに似たようなパターンになるらしい。これを打ち破るには「書く」力も必要なのだ。書く力をつけば、読む力も得られるわけさ。

2025-12-05

再びタイプライターを使いたくなった

 「タイプライターを使いたい」。そんな気持ちが、またもや湧きあがる。ネットで第2次大戦当時の潜水艦内の3D画像を見たら、タイプライターがテーブルの上に置いてある。艦員の持ち物かな。持ち込み重量管理の厳しい時代だ。雰囲気を出すためだけだろう。

 パソコンがあるのに、なぜタイプライターなのか。机のそびえる山型のような形が、使っているという気分が出る。文字を打ち込んだときのパンパンという音とともに、行末に来たらチーンという響き。こんなレトロ感がたまらぬ。難点はリボンの入手なのだ。検索するとあるのだが、あまりにも高額。結局のところ、単に見るだけで十分なのだろう。

 「なんでも鑑定団」というテレビ番組がある。持っている逸品の価格を、専門家らが決めるのだ。でも、そこに出品もできなだろう。まだまだ数が多すぎる。〝断捨離〟という言葉も存在する世の中だ。使ってみたくなるタイプライターだが、リボンが問題だな。

2025-12-03

生成AIでCMコピーは作れるか?

 三大紙といわれる新聞社は生成AIに文句をいっている。生成AIへのテクニック次第で、それらしい文章を作ってくれるから簡単なのだ。気に入らなければ、文言を替えて質問できる。では、雑誌社や作家らは部分的にではあっても、生成AIを使わぬのだろうかね。

 スーパーやコンビニに行けば、たいがいの生活用品は入手できる。こうしたモノの「広告コピー」に生成AIは使えないのだろうか。広告コピーはおどけたり、反対論調のようなものまで例を挙げるのも困難なほどのスタイルが並ぶ。生成AIで作成したコピーがヒットでもしようものなら、コピーライターは「生成AIで作ったものです」と正直に言える?

「致知」という雑誌を読んだことはあるかな。さまざまな分野の経営者や達人の言葉を紹介している。すばらしいけど、過去の偉人らのセリフを現代風にしものが多い。生成AIで作成したCMコピーが流行語大賞になったらどうする。言葉も大量生産の時代よなぁ~。