2025-08-29

三つのテーマはつながった

 昨日の新聞に、硫黄島の元島民と天皇陛下が懇談したという記事が載った。硫黄島は第二次大戦での激戦地で、いまや自衛隊だけが常駐している。元島民は90歳を超えると書かれていて、これまたビックリ。そして、帰りたいという思いしか語ることができない。

 硫黄島の遺骨発掘に関わり、その状況を本にしたのが北海道新聞(道新)の記者だ。他の記者だが、道新の記者とは会見場などでたびたび顔を合わせていたことがある。南大夕張炭坑閉山撤回交渉で組合員は通産省前でハンスト闘争を重ねていたので、その取材現場で知っていたのだ。シュプレヒコールは大きかったが、何もニュースネタはないのさ。

 新聞社の入社試験では作文がある。ランダムな三つのテーマで作文を書かせる所も多い。「硫黄島 道新記者 炭坑」の三つが頭の中でつながった。そして書いてみたのが、今回のBlogなのさ。しかしだ、ニュースではなく、単なる思い出話だけというのが悲しいね。

2025-08-28

ローマ字表記は面倒なもんだ

 チビッコのころ、小学校の授業に「ローマ字」があった。発音こそ日本語だが、そもそもどんな時に使うのだろう。使う機会に出会った記憶がない。いまでこそ駅ホームの案内板にローマ字も併記してあるけど、チビッコのころに見かけた記憶がないのはなぜだ。

 ローマ字が面倒なのは訓令式という、ややこしい表記法があるからだ。先日の新聞にローマ字表記は「ヘボン式」にするという記事が載っていた。ようやく現実の世界に近づいたか。訓令式表記は見かけたこともないと思ったが、駅名表記などには使われている。でも、「○○駅へ行きたい」と迷う外国人に英語で話しかけられたことは何度もあるぞ。

 金をかけてデカデカと表示させても、効果はゼロ。むしろ英語で併記させた方が良いくらいだ。ヘボン式のローマ字表記にすることによって、少しは読みやすくなるかな。記事を読んでいると、ローマ字で促音・拗音・撥音の表記法まであり、面倒至極といえる。

2025-08-27

古い新聞スクラップは捨てるに限る

 趣味の一つとして「新聞スクラップ」がある。何紙も必要な人ならともかく、一般人なら一紙だけだから、スクラップ量も限られるはず。世間では新聞購読者数が減っているというのに、なぜか「新聞スクラップ」はたまる一方。たまれば捨てなければならない。

 新聞スクラップの表紙には開始日と終了日を書いている。先日ビックリしたのは、1ヵ月ほどで1冊が終了してしまったのだ。以前は2~3ヵ月ほど使えていたのに、なぜだと思いがよぎる。古くなれば捨てるのは当然として、問題は捨てるタイミングだ。人それぞれなのは当然として、個人的な趣味ともなれば決断に迷いに迷いが生じてくるは当然さ。

 まれに1年前の記事を参考にすることもある。ネットで検索した方が早いのではないかと人は思うだろう。熟考した結果、2年前までのスクラップは保管して置き、3年以上前のものは捨てることにした。部屋はスッキリしたが、なぜか理由のない不安がよぎる。

2025-08-26

ウイスキーラベルのモデル

 庶民がウイスキーを日常的に飲んでいるのなら、高額な品など買えるわけがない。ニッカであれば一般的な品は「ブラックニッカ」だろう。シリーズには「クリア」「リッチブレンド」「ディープブレンド」「スペシャル」の4種類があり、全種とも飲んでいる。

 ブラックニッカのラベルの中心にデーンと描かれているのが、「ヒゲのおじさん」だ。モデルは誰なのだろう? 一説には16~17世紀にかけてのW・P・ローリー卿らしい。検索すればすぐに見つかるが、ラベルに描かれている姿とはマッチするようなしないような。メーカーにも問い合わせがあるらしいから、ホームページに載せているのも当然かな。


 しばらくブラックニッカのベースとなる「クリア」は飲んでいなかった。創業者の竹鶴政孝くんは、ベースとなる製品が売れなければならないと語っていたそうだ。ならば飲まねばなるまい。いま飲んでいるカティーサークがなくなったら、クリアを買いに行こう。


2025-08-25

「南総里見八犬伝」は要約で十分さ

 江戸時代に大ヒットしたらしい物語に「南総里見八犬伝」がある。主人公らは名前に「犬」の字が入っているわけで、悪党を相手に闘う。現代では映画やテレビにもなったが、要約本もあったから読んでみたが、これがおもしろい。ヒットするのも当然だな。

 現代語訳本編の上下2巻も買って読んでみたが、話のテンポが合わぬ。上巻はガマンしながら読み終えたものの、下巻は4分の1程度であきらめた。2年以上もそのままになっていたので、さすがに書庫へ納める。書庫なんか持っているのかと思うかもしれないけど、単に捨ててしまう本の山の中へ入れたまで。好みは人それぞれで、こんなこともある。

 一時期、「超訳」の本が流行っていた。超訳とは現代語訳にするだけでなく、今の読者でも読みやすいように、手を入れてあるわけだ。どうすれば読みやすくなるかは専門家に任せるしかない。八犬伝も現代語訳ではなく、こちらにとっては要約版で十分だった。

2025-08-22

2026年の手帳販売開始は近い

 天文や事務用品のメルマガだって読んでいる。この時期になると、記事に必ず出てくるのが、2026年の手帳案内だ。こちらは1998年からの「超整理手帳」ユーザーなので、8月中旬には予約をしており、9月末には手もとに届くだろう。早く入手するのも楽しみさ。

 手帳派、パソコン派など、人によって手帳のスタイルは異なる。例えば手帳派であっても専門分野ごとの手帳があるわけで、細かく見ていけば何種類存在するのかは不明だ。もはや好みといえるわけだが、各分野ごとの専門手帳を持つとダブルブッキングも起こしかねない。手帳考案者の野口悠紀雄くんも、「ポケットはひとつ」と語っているしね。

 ネット販売が始まったころ、9月末に書店へ行くと「10月になってから売り出す」と冷たく言われたものだ。いつごろ翌年の手帳を入手するかは、確かに個人の好みではある。翌年の手帳を9月末に手に入れても、こちらはきっちりと当該年の12月31日まで使うよ。

2025-08-21

ポイントは人によって異なる

 ミステリーファンであると、昔から述べてきた。どのくらいミステリーを読みつくしているのかというと、残念ながら人様に例を挙げるほど読んではいない。タイトルを見ておもしろいと思ったもの以外だと、ルポルタージュ本が多いことに今ごろ気づいたのだ。

 「読むスピードが遅い」と以前から指摘されていた。原因は3回も読むからさ。1回目はダーマトグラフで「ビクン」ときた部分に線を引くだけでなく、隅を折っておく。2回目は線を引いた部分だけを読み直し、さらに需要な部分だけをピックアップ。3回目になって、ようやくノートの見開き2ページ程度に書き込む。これでようやく「読了」なのだ。

 古本を買う場合が多い。前の読者が線を引いていることなんか、しょっちゅうだ。不思議なことに、重要と思う部分は人それぞれであることが分かる。線を引いてあるなら、古本屋で買いたたかれて当然だろう。でも、ポイントとなる部分は人によって異なるものさ。

2025-08-20

Blogにも後日談が必要だ

 いつごろからか忘れたけど、日記サイトが評判を呼び、FaceBookも出現していた。プロバイダーもBlogサービスを開始したものの、途中でやめる人も多く、撤退も相次ぐ。テーマはともかく、日記やBlogは続いてこそ価値があるはず。まさに「継続は力なり」だね。

 一時期、Blogに「~したいと思う」なる記事が増えた。ある製品の概要を書き、結論としてアフィリエイト展開を図るというものだ。シロウトの広告程度で、そう簡単に売れるはずがないのはアホでもわかる。Blog読者数が何万人もいる有名人でも、アフィリエイトで売り上げが年間2万円程度と語っていた。そんなもんだろうと、妙に納得したものだ。

 こちらはシロウトである。「~した」という記事は書いている。一歩先に進めて「~だった」と後日談も書けば、アフィリエイト広告でも効果があのではないか。作家が「思ったほど売れなかった……」と嘆いているのを見て、後日談も必要だなと思った次第さ。

2025-08-19

梅干しの万能的効果

 オカルト系雑誌「ムー」を知っているかな。こちらは年間購読予約をしているほどのファンなのだ。9月号をめくっていたら、「日本の伝統食『梅干し』が人類を救う」という記事が載っていた。梅干しは毎日食している。でも、まれに医者の世話になるけどね。

 梅干しの効果は「制菌作用」にあるという。新型コロナウイルスやインフルエンザなどでも効力を発揮するというから驚きだ。おにぎりや弁当などに梅干しが入っているのは、その制菌作用にあるのは知っている。詳しいことは記事を読んでいただくとして、それほどの万能効果があるのなら、専門書も多数あってしかるべきだ。もっとPRが必要だな。

 世話になった人に超高級梅干しを贈ったことがある。贈答品だから高額なのは当然だろう。いつもはワンパック300円ほどの梅干しばかりだが、1ヵ月に一度くらいは500円のものにグレードアップしてみるか。おっと、安価なものでもハチミツ入りなどもあったぞ。

2025-08-18

生活習慣病という原因と薬の用法

 2日前から目が腫れた。いわゆる「ものもらい」。以前も同じ症状に襲われたので、抗菌目薬を買っていたのだが、有効期限はなんと8年前。これではイカン。すぐ買いに走ったが、驚くことに「10日間用」もあるという。迷ったが、ノーマルなもので手を打つ。

 原因は、何だろう。調べてみると、いろいろ載っているが、一言でいうなら生活習慣病らしい。やってはいけないという原因を見てみると、分かったようで分からぬものばかりだ。生活習慣病というものは、何気なく起こるから困る。今は大きな腫れも半分ほどになり、ゴロゴロとした感覚も以前ほどでもなくなった。今週末には治るだろうと期待する。

 改めて、用法・用量の項目を読んでみる。なんと1日に5~6回は点眼するように書いてあるぞ。過去になかなか治らなかった原因は点眼回数が少なかったからで、今回は反省し、きちんと用法を守るのだ。一般用の薬でなかなか治らないのは、用法を守らないからだね。

2025-08-15

リクエストは特定の日に集中

 ニッポン放送では1:00からのオールナイトニッポンの前ふり番組が、前日22:00から始まるのだ。数日ほど前には歌手、「坂本九」くんのリクエスト曲ばかりがかかっていた。なぜ九ちゃんばかりに集中しているのだ? 疑問が浮かんだのなら、すぐ調べる。

 なんと九ちゃんが乗った飛行機が御巣鷹山に墜落した日だったのだ。乗客の全員が死亡したはず。新聞にも事故から40年が経過し、慰霊式の記事が載った。「群馬県上野村」と掲載されていたので、この村にある山だということも今ごろわる。過去の事故なら事実関係だけではなく、地図上で地名なども正確に確認しておかねばならんと反省もした。

 一つ疑問が出てきた。九ちゃんは東京から大阪へ向かう飛行機に載っていたはず。それなのに、なぜ反対方向の群馬県で墜落したのだ? パイロットが回避操縦をしていたからだろうか、それとも飛行ルートの問題なのか。シロウトの疑問とは、この程度なのさ。

2025-08-14

風習という不思議な行動

 食事の前、敬虔なキリスト教徒はお祈りをするらしい。観光地ではお目にかかれないが、風習として残っている一般家庭に入り込まなければ出会うことも無理だ。酒食の席なら「乾杯」も、その一つか。でも、乾杯はマナーの一つであるような気もするけどね。

 2002年、高野秀行くんは「南西シルクロード」を探険するため、中国からビルマ(ミャンマー)に潜入する。現地最大のゲリラ「カチン軍」が案内役だが、食事の前にキリスト教徒らしく、なんと祈りをするという。南西シルクロードといっても、いまやジャングルだ。高野くんは、とまどった。日本でなら「いただきます」がお祈りに該当するのかな。

 日常生活の中にキリスト教が入り込んでいるようだが、そうでもない。昔ながらの精霊信仰が日常を支配しているのだ。風習というものは何気なく行なっているので、気にも留めない行動となる。まぁ、「郷に入れば郷に従え」ということわざに従うのが肝心さ。

2025-08-13

ルポ記事は分かりやすく書く

 文学作品を読んでいるのなら、好きな作家やジャンルはあるはずだ。ひとりの作家のファンになると、その人だけの構成や文体のパターンがあることに気づく。文学研究者でもないから特定はできないけど、そんなスタイルが身に付いているからこそ生み出せる。

 ルポルタージュはどうだろう。ひとりのルポ作家の作品ばかりを読む機会は少ないから不明だけど、パターンはあるに違いない。ダ・ヴィンチくんのセリフではないけど、先人のマネからスタートし、経験の積み重ねによって独自のスタイルが生まれてくる。ルポ記事でも基本パターンはあるはずだ。スタイルを確立してこそ、ルポライターといえるね。

 有名な小説家ともなれば、入学試験で長文読解として出題される。では、そこでルポ作品を取り上げられたことがあるだろうか。たぶんないはず。中高生でも理解しやすい文章を書くことこそルポ記事のスタイルだから、読解問題として出題されるはずもないのだ。

2025-08-12

遮光カーテンは一般家庭の必需品

 夏になると、暑さを避けるグッズが売り出される。家にいるのなら、扇風機やクーラー、冷風機などの広告も目につくだろう。考えなければならないことは、暑さや湿気を防ぐだけでなく、原因の一つである日光を長期にわたって、いかに避けるかという方法だろう。

 設置してみて、これは良いと思った製品に「遮光カーテン」がある。日光を遮ってくれるので、さほど室温は上がらない。さすがにクーラーは使うけど、経済的な運転ができる。一般的なカーテンに比べれば、遮光カーテンは確かにちょっと高価だ。また、専用のカーテンレール、取り付けの労力までも必要となる。しかし、一度設置すれば長持ちするぞ。

 万能のようだけど、すべてに威力を発揮するわけでもない。「湿気」には対応できないのだ。そんな場合は除湿運転が必要となるし、場合によっては除湿だけでも過ごせる。遮光シールもあるけど、シロウトではうまく貼り付けられないのが最大の難点なのだった。

2025-08-11

生成AI vs ひらめき

 ChatGPTをはじめとする生成AIの動向は新聞などでも見かける。また学生にレポートを書かせると、生成AIを使ったような論調も見かけるらしい。見抜く方も大変だな。就職試験の時、いまは作文を書かせないのだろうか。採点者なら一発で見抜けるはずなのにね。

 久しぶりに外山滋比古くんの「思考の整理学」を再読した。そこに、テーマなどを「寝させる」という項目がある。何らかの論文・作文を書いたのなら、一晩寝かせておけという。何日か、それとも何年か。期間など分かるはずもない。しかし、ある時にパァ~ッと頭に突如として「ひらめき」が出てくる。これぞ、テーマを寝かせておく秘訣というのだ。

 チビッコが大学に入学するとき、「思考の整理学」が課題図書になったようだ。貸してあげたので、持っていかれたものと思っていた。先日、本棚をゴソゴソしていたら見つけたぞ。役に立ったのか……。「生成AI」か「ひらめき」かなど、こちらには判別できん。

2025-08-08

メガネなしで行動したい

 「メガネをかけずに地下鉄に乗れました。会社にも行けました」。ラジオ番組に寄せられたメッセージだ。出社時の行動だが、出社後はメガネを着用していたに違いない。メガネをかけている人なら、メガネなしで行動することは大きな希望。その第一歩だろう。

 こちらもメガネをかけている。ほんのわずかな時間帯で構わないから、メガネなしで街中を行動してみたい。思うだけでなく、実行することも大切なのだ。行動シーンを思い浮かべるが、なかなか思いつかない。メガネをかけていたにしても、ノーマル時の視力によっても手段は異なる。冒険をするには、まず現実的な計画と準備、そして行動が必要だ。

 イニシエーションに至る「実践カバラ 自己探求の旅」という本がある。視力0.1以下の著者がメガネなしでいる逸話が掲載されていた。短時間であっても、メガネなしでいる時間が必要なのだ。簡単なことだが、理屈より実行してみる気力がまずは必要なのだね。

2025-08-07

トルティーヤは、どこに売っている?

 国立民族学博物館は大阪府吹田市にあるようだ。〝あるようだ〟と書いたのには、わけがある。吹田市は一度も足を踏み入れたことがない。それでもメルマガは読んでいるから、発掘現場でのおもしろい話はゲットできる。もっとも、これだけ読んでいたりして……。

「青唐辛子を一本載せて、かぶりつく」。民族学とは関係のない、発掘現場でトルティーヤを食べた話に興味津々。こちらもメキシコ料理店で食べた記憶はあるので、グレードが落ちたところでインスタントラーメンのようには作れるはずだ。レシピサイト「Cookpad」を閲覧していて疑問が浮かぶ。そもそもトルティーヤって、どこで売っているのだ?

 まず検索。トルティーヤは「トウモロコシ粉や小麦粉で作られた薄焼きパン」のことで、タコスは「トルティーヤに具材をのせて包んで食べる料理」とある。サンドイッチでいえばパンがトルティーヤ、具材をはさんでタコスとなるのか。おりこうさんになったぞ。

2025-08-06

名前に「武」が入っていると落選?

 3日に仙台市、横浜市で市長選があり、5日の新聞には確定投票数だけが掲載されていた。政党や選挙関係者でもないので、普段なら読みもしない。でも、この日だけは目に入ってきたのだ。最下位になった立候補者の名前に、不思議な共通点を発見したからなのだ。

 仙台市長選の最下位者の名前に「武」が入っている。横浜市長選でも最下位者の名前にも「武」が入っているではないか。名字ではなく、名前だけの話だ。もしかすると、名前に武が入っていれば最下位になってしまう因縁があったりして。たまたまであろうけど、名前に「武」の一文字が入っていれば、落選間違いなしという妄想が沸き立ってきた。

 新聞の記事には大臣の名前がフルネームで掲載されている。「武」が入っている人もゼロではない。過去の選挙データで最下位者の名前を調べようと考えたが、面倒だ。判明したからといって話題にもならぬ。アホな妄想から行動に移すのは、やめておくに限る。

2025-08-05

ノンフィクションの展開手法

 ルポルタージュ本の巻末には、何冊もの参考文献が掲載されている。昔なら、古本屋を駆け回らなければ入手困難だったろう。今ならAmazonなどで検索すれば入手可能だからラクチンに違いないけど、高額だったりもする。世の中、いまくいかないのは当然だ。

 本棚の中にジェイコブスくんの「ノンフィクションの書き方」があった。久しぶりに開いてみると、なんと1984年に出版されたもの。ルポの書き方というより、本になって初めて賞賛されるのだから、出版社との交渉術がメインだった記憶もある。ATで文書を書くことが賞賛されるているけど、ルポは現場を体験しないと書けないし、また売れない。

 巻末には「ルポライター事始」「自動車絶望工場」「ハーレムの熱い日々」などといった大昔の参考文献も並ぶ。わざわざ列記したのは、読んだことがあるからだ。ジェイコブスくんの本がいま役に立つかどうかは不明だが、とりあえず再読してみようかねぇ~。

2025-08-04

さい銭の判断と行動

 偉い人たちの行動を見ていると、被災地などへ巨額の寄付をしているようだ。見習いたいものだと思う。世の中には「アムラの法則」があり、望んだことが実現したら、わずかな金額であっても困っている人に寄付をするという行動だ。現実的な方法ではないかな。

 そこで考えた。毎日新聞には星占いのコラムがある。誕生日の星座ごとに、毎日の吉凶を一言コメントのほか、5分野ごとに5段階評をしているのだ。全体運が「5」の最高評価を得たら日があったら「100円」を貯めておくことにした。常にあるわけでもない。でも、あまりに少額だし、寄付する先も思いつかない。そこで神社のさい銭箱へ投入するのさ。

 冒頭で紹介したアラムの法則による行動は、かなり前から行なっている。能登地震のとき、神社本庁が寄付金を送ったという新聞記事を読んだことがきっかけだった。数値に表せないほどの少額しかさい銭箱に入れていないけど、寄付を行なったという自己満足よ。

2025-08-01

「住所」と「所在地」の使い分け

 毎日新聞には「毎日ことば」という6行の小さなコラムがある。昨日、会社なら「住所」ではなく「所在地」を使う方が無難と載っていた。住所とは、あくまで住む所であり、会社などにはそぐわないという。読む方も、そいうことかと改めて納得してしまう。

 何社もの会社が加入している団体のホームページを作ったことがある。加盟社のリストは「所在地」ではなく、「住所」と掲載しているのだ。これは所在地と表記した方がよろしいと考える。さまざまな会社のホームページを見てみると、住所と所在地の表記は混在しているではないか。一斉に変更したら、通信量も一時的に莫大なものになるかもね。

 Wikipediaでは、どう説明しているのか。「事業所、営業所等がある場所については住所とは言わず所在地」とされているだけでなく、形式主義や実質主義までにも触れている。英語ならaddressだが、各国の表記も調べてみようと思ったけど、面倒なのでやめた。