2025-12-12

「禅」と「ZEN」の世界

 エッセイで古典となったものに、小田実くんの「何でも見てやろう」がある。1950年代後半、米国に留学した体験を語ったものだ。「古典を読むことは重要」とエライ人は言う。ならば、これも古典の部類の本だろうと勝手に考え、Amazonで古本を買ってみたのさ。

 日本でなら「禅」。そのころの米国では「ZEN」だったという。教養のある連中はともかく、スラム街のその日暮らしのような連中ですら知っていた。恐るべしは「禅」、いや「ZEN」だ。ZENの何が魅力的だったのだろう。今でこそマインドフルネスといった手法まで米国では出てきている。これは禅から仏教思想を取り除いたものかと勝手に考える。

 ヨーロッパで初めて禅を紹介したとき、「何の役に立つのか」と聞かれ、「役には立たん」と答えたのは鈴木大拙くんだったと記憶している。ひらめきが生まれるには修行時代が必要だ。禅でもZENでも良いが、「無用の用」の世界なのだ。まさに哲学の世界だね。

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