新聞で科学関連の記事を読んでいると、「想定外」といった記事は少なくなったと書いてあった。東日本大震災のときも、新聞テレビでは「想定外」といったコメントがあふれたけど、実は数100~1000年単位で発生しているとゲストの某大学教授は述べていた。
いまやこの「想定外」というコメントは、逃げのセリフではないかと思うようになった。例えば世間を騒がせている新型コロナでも、ほかの動物には存在していたようなのだ。仏教でいうところの因果論みたいなもので、結果にはその原因が存在しているものだ。
Newtonのような科学雑誌を読んでいると、紀元前だの地質学などにおいては何億年前といった記事が掲載されていたりする。「想定外」という言葉は便利なもので、原因を追究できない、いや考えることすら放棄した一般大衆の使う言葉だなぁ~と思うのだった。
とはいうものの、こちらも一般大衆。想定外の事態が発生すれば逃げ回るしかない。
2021-11-30
「想定外」という記事は少なくなった
2021-11-29
円周率からの科学の歴史
科学雑誌「Newton」2021年12月号の特集は「π」に関することだった。πは3.1415926……と延々と続く。小数点以下は、62兆ケタ以上までも計算されているようだが、一般的には「3.14」で十分。NASAとて小数点以下9桁までという記事を読んだ記憶がある。
紀元前から円周率には悩まされていたようで、鎌倉時代にも「3.14」か「3.16」かなどと悩んでいる科学者がいたらしい。結局のところ、今は何桁まで計算できるかはコンピューターの能力によるところが大きく、誰がどのような方法で点検しているのだろう。
先日の新聞の読書欄に「江戸の科学者」という書評が掲載されていた。江戸時代の科学者といえば、関孝和や平賀源内などが思い浮かぶけど、フランクリンの凧と同じように雷で電気の実験をする学者もいたらしい。なんか共時性の法則のようで、ともかく驚き。
江戸の科学者は、成果をどんどん出版していたらしい。読む人は何人いたのだろう。
2021-11-26
芋煮が全国番組の話題になるとは
高校生が中心のラジオ番組、スクール・オブ・ロックを聞いていたら、なんと東北の芋煮鍋料理が話題となっていた。この芋煮鍋がテーマになっていたわけだが、知らないスタッフもいたようで、秋冬の季節の郷土料理だが、東北全般にも似た料理があるらしい。
昔のことだが、関東地域のオートキャンプ場開設に関わったことがある。このときも秋のイベントとして芋煮鍋を立案したのだが、ほとんど相手にされなかった。郷土料理というものは、その土地に生活している人間はまだしも、ほかの地域では話題にもならぬ。
日本の地域によって、さまざまな郷土料理があるのだから、地域外の連中が知らなくとも不思議ではない。また同じ地域でも、都心部と農村地帯ではこれまた違ってくる。知らなくても口に合わなくとも当然なのだが、芋煮鍋の知名度とはこんなもんだった。
郷土料理とは、その地域の食材や調味料を使う。そんなところが広まらぬ原因だな。
2021-11-25
キンニクマンの日だって?
アイデアの発端とは、いかなるところにもある。先日も〝金曜日〟と食肉業者が展開している〝肉の日(29日)〟を合わせると「キンニクマンの日」となるらしい。がっかりするような理屈だが、案外にこのような語呂合わせというのは記憶に残るものだ。
1年365日、毎日が何らかの記念日となってに違いない。ちょっとラジオで耳にしたのだが、なんと「本日は51個の記念日になっている」と言っていた。これでは覚えられるわけがない。仕事や生活の一分野ごとに、たぶん何らかの記念日が存在しているわけだ。
では、本日は何の記念日だろうと考えるのは自然の成り行き。ネットで調べてみると、毎日が網羅されているようでいないようで、よく分からない。例えば元旦は何もないとは思うが、この日に行動する神社やイベント関連業者の間では作っているかもしれない。
ネットでも毎日の記念日を網羅しているサイトはない。世間とは、こんなもんだ。
2021-11-24
問題はカラスの増加だと思うんだが・・・
新聞にどこかの研究団体が野鳥の観察調査を実施したことが掲載されていた。どうやらさまざまな野鳥が減少傾向にあるらしく、例えばスズメも農薬などの影響で大幅に減っているという。オレ様的には増加傾向にあるはずのカラスを何とかしてほしいと思う。
近所をランニングのため走っていると、カラスが路上に何羽かがたまっている。どうも木の実の殻を破るため、車に引かせているようなのだ。また川沿いのコースともなると、さすがにコース上にはいないが、木の上で何らかの監視をしているようなのだった。
こんな面倒なカラスでも、さまざまな手法で排除させると野鳥の会などという連中は必ず文句の声を上げる。ともかく一つの鳥類を減らせば、敵対関係にある他の鳥類が増える傾向どころか、関係がないはずの人間まで乗り出してくるから実に困ったものなのだ。
童謡にあった「カラスが鳴くから帰ろう」という、のんびりした時代ではない。
2021-11-22
マンション屋上の有効利用
今はマンション屋上は有効利用されてはいない。以前はマンション屋上の利用ということで、一時期は屋上緑化もブームになったようだけど、いまは話題にもならなくなった。ならば設計の段階から、屋上に天文台を設置する計画を進めてみてはどうだろう。
マンションやビルの低層階が商業施設として活用されているのだから、逆転の発想で屋上も有効利用する。セキュリティーの問題から、設計の段階から考えねばならぬ。天文台のほかにプラネタリウムもあれば、年間どころか昼間だって活用できるではないか。
ただなぁ、天文台だけで人は集まるのだろうか。プラネタリウムを併設したところで、現状のように新型コロナといった問題が発生すれば、あっという間に閉鎖になってしまう。思いつきのようなアイデアは出てきたにしても、実現できるかどうかは別の話だな。
屋上有効利用策のきっかけにもならんか……。シロウト案とは、こんなもんだ。
2021-11-19
なべ将軍までいるらしい
秋の風情が訪れ本格的な冬にもなってくると、やはりなべ料理が中心となってくるだろう。仲間内でもなべ料理となれば必ず登場するのが、「なべ奉行」というものだ。とにかくもなにも、あれこれと指示が多いので辟易する。しかし、上には上がいるものだ。
なべ奉行の上をいくもの、それが「なべ将軍」。なべ将軍ともなると、なべ奉行のようになにかと指示をするだけではない。あれこれ口出しするどころか、なべ料理の一切を行うだけでなくすべてを自分が行う。すべてはなべ将軍の指示通りに動かねばならない。
なるほど、たまにこのようなヤツに出会うなと過去を思う。たいがいは立場が上の上司だったりするから文句も言えぬ。なべ料理はいかようにでもアレンジできるところが良いところ。まあパターンの一つ覚える方法でもあるから、おとなしくしておくに限るか。
皆の衆、よく聞け。君らの世界でもなべ奉行ならぬ〝なべ将軍〟は必ずいるはずだ。
2021-11-18
「不貞腐れる」と書くのだったか
日ハムの監督に新庄剛志くんが就任し、さっそくビックボスとして動き回っている。新庄くんのニュースとして「努力していない人間ほど、すぐ人のせいにし不貞腐れ自分から逃げる」とTwitterで語ったらしい。気になったのは、この「不貞腐れる」という言葉。
「ふてくされる」という言葉は、ふつうはひらがなで使われる。しかしだ、漢字で表記すると「不貞腐れる」となるのか? 初めてお目にかかる漢字なので、さっそく国語辞典の登場だ。そうしたら、ちゃんと掲載されているで、ひっくり返るほどビックリした。
国語辞典には「不貞は借字」とあるから、あまり使われる漢字ではあるまい。新聞に、よく(ママ)という表示がある。相手が語ったことをそのまま表記しているという意味なのだが、国語辞典にも載っているのだから間違いではないけど、読む方は混乱する。
現代でも文語体や見慣れぬ漢字を使う作家はいる。でも、読みにくいんだよなぁ~。
2021-11-17
「“ ”」と「〝 〟」の使い方
いまや古典ともいえる木下是雄というおっさんの「理科系の作文技術」と「レポートの組み立て方」という絵本(我が家の専門用語で書籍一般のこと)をパラパラとめくっていた。ふと疑問がわいてきたのは、「“ ”」と「〝 〟」はどう使い分けるのだろうか。
両者とも似たような使い方なのかな。「“ ”(クオーテーションマーク)」は本には書かれていないけど、ネットで調べると「 引用した部分を本文と区別するために用いる符号」と出ている。英文はともかく、日本語でも「〝 〟」の代用みたなものか。
では、日本語で「〝 〟」はどう使うのだろう。そもそも読み方すら不明。こいういうときは毎日新聞用語集が使える。「〝 〟」は「ひげカッコ」と言うのか。「語句の強調に使う」とあり例文も掲載してあった。名称や意味も不明確なまま使っていたとはな。
一つおりこうさんになったわけだけど、大して自慢できるほどでもないか。
2021-11-16
デヴィット・ボウイの100冊があるらしい
新聞の読書コーナーを読んでいたら、なんとあのデヴィット・ボウイくんの「デヴィット・ボウイの人生を変えた100冊」という本があるらしい。ほんまかいと思いながらネットで調べると、この100冊リストはかなり有名なようで、昔から知られていたらしい。
リストにはダンテくんの「神曲」や三島由紀夫くんの「午後の曳航」などなど、単なるミュージシャンとは思えぬものが並んでいる。いやはや人は見かけによらぬ性格や趣味があるものだ。音楽界というカテゴリーの中でも、有名な読書家だったというからな。
記事には「どんな天才も、無から新たな表現を生み出すわけではない」と書かれている。やはり国内バンドとして知られているだけでなく、世界的規模で有名な人は、人には知られぬ何らかの特徴があるものだ。国内のバントはヘンチクリンな行動だけだしなぁ。
ボウイくんのリストは手に入れた。読書家というのは、その分野も幅広いもんだな。
2021-11-15
練習には「書き写し」が一番!
面倒な手法というのは、昔から”習うより慣れろ”といわれてきた。賢者たるゲーテくんだったか、ダヴィンチくんであったか忘れたが、最初のうちはともかく先生のマネをしろとかいっていたなぁ。日本でも三文字熟語で「守破離」があり、まさに世界共通。
このところFreeMindの練習をやりながら、参考書としてマインドマップの本を読んでいた。そうしたら「最初のうちは書き写しをする」などと書いてあるではないか。まさに守破離の最初の段階の方法だ。ともかく、手本を四の五の言わずに書き写してみよう。
先日も、ますはオレ様なりに考えたものを公開してみた。そうしたらさっそく「オレが教えてやる」などという迷惑千万な輩が現れた。余計なお世話だ。いまは慣れの段階よ。たくさんの手本がネットにもあるのだから、コツコツと書き写してみる段階なのだ。
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昔の参考書に「頭脳地図」というのがあった。書き写してみたが、どんなもんかな。
2021-11-12
各種シーンを盛り上げる雨
映画監督の黒澤明くんは、重要な場面には「雨」を使っていた。古典的名画「七人の侍」でも最後の決戦シーンは雨だったし、これだけの雨を降らせるには放水設備の準備などなど撮影は大変だったろう。ともかくも雨は場を盛り上げるには欠かせないツールだ。
19世紀のヨーロッパの画家も、絵画によく雨のシーンを使っていた。過去にネットで紹介されていたのだが、エッフェル塔の見えるセーヌ川沿いを男女ふたりが、雨の中1本の傘に入って歩く……。とまあこの画家も、よく背景には雨を登場させていたのだった。
Facebookを見ていても、撮影シーンの背景にはときどき雨が使われている。農林業だって雨が必要だろうし、水産業に至っては雨というより始めから波で濡れる準備だけどね。オレ様も雨が降っていればランニング計画をどうするか、ちょっと考えねばならぬ。
日本海海戦でZ旗をかかげたように、オレ様も各種の予報旗をあげてみようかな。
2021-11-11
「すぐ調査しろ」と「すぐ動け」
日本語の感覚からすれば、「すぐ動け!」というのは即座に行動する指示命令だろう。ある記事を読んでいたらヨーロッパあたりでは、なんと「すぐ調査しろ!」となるらしい。両者とも意味はかなり違うけど、たぶん似たような行動指示なのだろうと思う。
まあ「すぐ動け」と指示されても、いろいろ関連動向を調べないと行動できない。ひるがえって「すぐ調査しろ」と指示を受ければ、さまざまな意味を含んでいるだろうから言葉通り調べるヤツもいるだえろうし、なかには行動主体の連中だっているだろう。
要するに言葉による命令指示は短く、配下の者は意味するところを一言聞いただけで理解しているからなのだろう。なんとも映画のワンシーンのようなセリフであるけど、日常会話においてもゴテゴテと指示解説が続けば、まさに”くどい”と嫌気がさしてくる。
行動指示は短く簡潔にだ。でも訓練を受けていないと何をなすべきか分からんな。
2021-11-10
歳をとっても国語辞典を引け!
手書き時代ならともかく、今はパソコンを使って文書を書くことがほとんど。漢字だって書き間違いというより、同音異義語などの漢字を平気で間違えている。たぶん本人も気が付いていない。だからオレ様は言いたい。もっと国語辞典を引けということだ。
オレ様も人様のことはいえない。もう死んじゃったけど、作家の井上ひさしくんの「自家製文章読本」だったかを読んでいたら、国語辞典で知っている用語はわずかであったといっている。作家ですらこのありさまなのだから、一般人なら押して知るべしなのだ。
チビッコどもにも「国語辞典を引け!」としつこく言っているが、ポワ~ンとした調子で電子辞書で見ているもんという。人様のことはいえぬのだが、”知る”のと”覚える”のとではまったく違うのだ。でも、なかなか行動に移すことが少ないのが人間様よ。
作家ですら常に国語辞典を引いているのだから、一般人もちょっとは引こう。
2021-11-09
ステッキの役割はなんだろう
Facebookを見ていると、たまにチャップリンくんの昔の映画の一場面が掲載されている。彼のスタイルともいえるステッキを器用に振り回したり、人や物を引き寄せるわけだ。またワトソンくんも散歩どころか、武器の一つとして鉛入りのステッキを持っている。
そもそもステッキとは、何のために持ち歩いていたのだろう。昔のニュース映像を見ると、男性の半分以上はステッキを持ち歩いているし、いまでも通販サイトでは、たくさんの製品がラインナップされている。でも、いまや街中で見ることは100%ないといえる。
ステッキとは、どんな役割を持っていたのだろう。ケガをしたときや農林作業で大きな荷物を背負っているとき、ピッケルを使うのも広義ではステッキの役割だ。修験者が錫杖を持つのも同義といえる。形は変わっても、さまざまな場面で役に立っているわけだ。
権威の象徴のようなステッキだが、形を変えて今でも同じ役割を持つ物はあるのだ。
2021-11-08
もうクリスマスケーキの予約開始
以前、動画で修験道某宗派の幹部の自宅が紹介されていたけど、なんとこの時期にはクリスマスツリーが飾ってあった。宗教的意味合いとは関係なく、もはや一つの日常的行事としてクリスマスが位置付けられている。なかでも重要なのはクリスマスケーキだ。
まだ11月に入ったばかりとはいえ、そろそろケーキのことを考えておかねばならん。ヒマついでに近所の有名ケーキ店のサイトをみたら、なんとクリスマスケーキの予約開始と掲載されているではないか。いくらなんでも早すぎると思うのはオレ様だけなのか。
昨年は新型コロナ流行で予約だけになったが、それでも予約のケーキだけで店内が満杯になっていた。いまは各種CMでも秋の味覚などと流れている時期なのに、もうケーキ店ではクリスマスケーキ展開をスタートさせているわけで、これも一つの手段だろう。
コロナ禍のおかげで世の中の動きが変化したらしいけど、確かに実感できるな。
2021-11-05
忍者動画の舞台は日光江戸村
忍者が登場する動画を見ていると、その撮影舞台は「日光江戸村」だった。ある程度の広さを持ち、江戸らしき町並みからキャストまでそろっているとなると、舞台はこの江戸村しかないのだろう。オレ様もかつてチビッコどもを連れて行ったことがあるからな。
ちょっとした撮影なら江戸村なのだ。コロナ禍のいま、どうなったかサイトを見てみるとちゃんと営業はしているようだ。かつてチビッコ1号は姫、チビッコ2号だって若殿と呼ばれていたので、チビッコもそれらしい気分になれるし、いまも変わらぬのだろう。
チビッコどもも大きくなると、足も自然に遠のいてくる。また何回か行ったことがあるので、そう何度も行きたくなるアトラクションもない。客に足を運ばせるには、それなりのアトラクションだが、敷地が拡げられぬのならやはり忍者が登場せねばならない。
スタッフとして忍者を育てるには、それなりの時間が必要だ。簡単にはいかんな。
2021-11-04
ホームズのFreeMind
このところ久しぶりにFreeMindを使ってみている。今度は新潮文庫が刊行しているシャーロック・ホームズシリーズをまとめてみた。かつて出版されていた「FreeMind仕事術」を参考にしていたものの、思った通りに動かない機能もあったので、こんなもんか。
前回は「自律訓練法」をまとめてみた。今回は本来ベイカー・ストリート・イレギュラーズをまとめるつもりだったが、FreeMindの操作に慣れるためにも物語一覧にした。面倒なテーマについては、もう少し使い方に慣れてきてからの方が良いだろうなと思う。
公開すると、あちこちから文句が入る。最もうっとおしいのは、マインドマップのユーザー資格などを持っている輩が「教えてやる」などとうるさく言ってくることだ。金と時間をかけて取得したにしても活躍できる場がないのだな。まったく余計なお世話だ!
資格ビジネスに巻き込まれると面倒。まずはコツコツと操作に慣れていくことだな。
2021-11-02
アラブ人の水筒
前日、ひょうたん水筒のことを書いた。書き終えた後に、昔のアラブ地域の砂漠では、動物の皮を使った水筒を持っていたはず。映画「アラビアのロレンス」のビデオを見た時、この水筒が欲しくてたまらず、確かパルケエスパーニャだったかで買ったものだ。
アラビアのロレンスは、確か第一次大戦前後のことだから、たぶん砂漠の民は革製の水筒を使っていたに違いない。これを見つけた時には即座に入手。ただし、土産物だから合成皮革の皮だろうし、内部はビニルでおおわれていた。まだ売っていたのか……。
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結局のところ、2~3回使っただけで押入れの肥やしとなった。時代や地域も大きく異なるのだから、いまではスーパーへ行けばもっといいステンレス製水筒が売っているし、オレ様が使っている水筒も同じタイプ。人目を引くことしか考えていなかったからな。
まわりから注目されるのは楽しいが、衛生面や素材などもっと考えてくれんかな。
2021-11-01
ひょうたん水筒って良いのか?
チビッコのころだったと思う。大昔の人たちのように、ひょうたんで水筒を作れば、周囲から注目されるのではないかと考え、どこからかは覚えていないがひょうたんをもらった記憶がある。でも、ひょうたんで水筒を作るのはとても面倒で、すぐにあきらめた。
いまの季節はひょうたんの収穫時期なのか、ネットニュースでひょうたん水筒作りのことが掲載されていたのである。ふたたび挑戦してみようかと考え、すぐネットで調べてみたが、ともかく片手間で作れるようなものではない。これまた、すぐにあきらめた。
同じように、ひょうたん水筒にあこがれる人たちは多いのだろう。なんとひょうたん型の水筒まで売っているではないか。そして本来のひょうたんで作られた水筒は、実用品というより美術品のようなスタイルになっている。ひょうたんは、いまや芸術品なのだ。
でも周囲の受けを狙うには、ひょうたん型の水筒も悪くはないと思うのだった。