2024-07-31

画狂老人卍と名乗る

 富嶽三十六景といえば、北斎くんの浮世絵だ。絵画のことはまったく知識がないので、解説を読みながらフムフムと思うのも当然だろう。彼は若きころから、何度も富士山をテーマにした習作を書いていたようで、「画狂老人卍(まんじ)」と名乗っていた。

 この「卍」で目が止まった。調べてみると、寺院の地図記号「卍」は「古代インドで用いられたサンスクリット語(梵語)に由来し、幸福を意味」し、正確には「左まんじ」というようだ。こんなに昔から使われていたのか。一方、ナチスドイツも使っていたおかげでイメージが大きく悪化したけど、これは正確には「右まんじ」と呼ばれるものという。

 左右を反転させる手法は、ネットの投稿動画でよく見られる。左右反転させれば規制には引っかからないのかね。だったら「左まんじ」と「右まんじ」だって大きく違うから文句をいわれる筋合いはないはず。ただ、言葉の制限はくさるほど出てきているからなぁ。

2024-07-30

国歌斉唱は緊張の極み

 キミらは緊張する場に立ったことがあるだろうか。何度も経験している場合でも、初めて挑戦した時には心臓がドキドキした経験があったに違いない。何とかなるさと思えばいいのだが、こればかりは性格的な違いが大きく出るので、一様に語ることはできない。

 メルマガで読んだのだけど、米オールスター戦の前日イベント「ホームラン・ダービー」では、開幕前に歌手が国歌斉唱をするという。役割を任された歌手が、緊張のあまり上ずったような声でひどかった。話を聞くと、心を落ち着けようと酒を飲んだりして、のどを壊してしまったのだ。あとから謝ったらしいけど、有名な歌手でも、こうなのだ。

 とある国家試験を受験したとき、結果が気になって、こちらも帰り道では信号など関係なく歩いていたらしいのだ。すぐ警官がふっ飛んできて注意されたけどね。合格はしたけど、この時は緊張の極みだったのだろう。長い人生の間には、こんなこともあるのさ。

2024-07-29

書店が消える……

 何回もマスコミなどで語られているが、街から書店が消えるているというのは本当だな。近所にあったチェーン店系の書店も無くなったし、昔からの書店が閉店したという記事も先日の新聞に掲載されていた。その代わり、街の中心部だけには集中しているけどね。

 本は買うし読んでもいる。でも、書店で買うことはほとんどなく、Amazonか楽天市場で買う。新聞やネットの広告や評論記事から本の情報を得ているので、読みたい本は決まっている。そんな本を大書店へ買いに行っても、売っていない経験が何度もあるので、それならばとAmazonの注文ボタンをポチリとする。それでも未読の本がたまるから困りもの。

 読んでいないのに、1週間もすると評価記事を書けとAmazonから通知が来る。この時点では〝積ん読〟だから書けるわけがない。入手するスタイルが変化してきているのだし、書店が衰退していると言われてもね。年賀状だってメールに押されて減少しているのだ。

2024-07-26

ステージを上げるステップ

 パソコンが出始めのころ、ネットサーフィンという言葉がはやったものだ。いまやパソコンどころかネット接続料金も安くなったので、ネットサーフィンという用語は死語になっているはず。もはやお仕事にも生活にも欠かせないツールになっているからね。

 新しいことへ進んでいく語り口に、「ステージを上げろ」というセリフが使われていた。何気なく使っていたので調べてみた。単に「段階を上げろ」もしくは「ステップアップしろ」ということではないか。例えば習い事などの中では級や段といった明確なクラス分けになるけど、オカルト世界の中では自覚するしかないから、これまた困ったものよ。

 最新鋭の潜水艦の内部で、面白いことにExcelの教本を見つけた人がいたらしい。技術のかたまりのような世界でも、使う側はイチからお勉強せねばならん。ユーザーが使いこなすためには、初心者用の教本も必要なのだ。「ムー」もオカルト世界への入門本かな。

2024-07-25

人同士が会って飲むこと

 研究学園都市という街があったけど、初期のころは人気がなかった。原因はストレスを発散できるような飲み屋がなかったことにあるようで、ゴチャゴチャした飲み屋街ができてようやく人が集まり始めたという。人の付き合いほど理論どおりにはいかないものだ。

 学会という組織のトップには偉い研究者などが就任するようで、事前運動や組織票などは当然あるのだろう。会長に就任できたオッチャンと取り巻きの連中が、なんとこちらが行くようなヤキトリ屋で達成の飲み会を行なっていたのだ。大声で話しているものだから、隣のテーブルにまで聞こえてくる。こんなところで飲んでいたのかと驚いたもんよ。

 会長就任の披露パーティーで、そのヤキトリ屋のオバチャンが花束を渡している写真が関連業界紙に掲載されていたことにも驚いた。感情をあらわにできる飲み屋がないと、いくら研究学園都市といっても発展はしない。あのヤキトリ屋は、そんな店だったのだな。¥

2024-07-24

過去のアイデアの合体

 誰もが言われることの一つに、「新しいアイデアはないのか?」ということがある。そんなことを語る暇があったら、自分で考えろと言いたくなる。昨日も面倒なことがあったけど、参考になる本があったことを思い出した。それは「アイデアのつくり方」なのだ。

 アイデアを作る方法はいたって簡単。過去のいくつかの事例をかき集めて、それらを組み合わせたりしながら、しばらく考え続ける。次に、そのことをすっかり忘れて別なことを行なう。するとある日突然、思いもかけない新たなアイデアがひらめくというものだ。一連の流れは確かに簡単だけど、やてみるとこれほど面倒で難しい方法はないといえる。

 大昔に買った本だし、ネットにもくさるほどの数の評価記事がある。こちらも何回かBlogに書いたな。スポーツでいえば、指導者から「練習しろ」といわれているようなもので、効果的な方法が分からないから困るのだ。自分で考え、見つけろということにつきる。

2024-07-23

「わらじ」でウォーキング(?)

 ランニングをやっている人でも、たまには歩くという世界を見たくなるはず。昔のことだけど、植村直己くんは北極探検の前に予行演習として歩いて日本縦断を達成した。東海道五十三次ではないけれど、いまだってチャレンジする人はいるに違いないと考える。

 驚くべきことに、「わらじ」を履いて東海道五十三次を実行しようとした人がいるようなのだ。わらじを履いて日本橋をスタートしたものの、足がすぐに痛くなりノロノロとしか歩けない。最初の宿場町である品川に到達する前にあきらめたという。ネットに写真が掲載されていうので参考になるかな。歩くという世界は簡単なようで、案外と厳しい。

 修験道のとそう行に参加したとき、神道系の羽黒修験のオッサンが、なんとわらじを履いていたのだ。行者用の白足袋は底にクッションが入っているので、わらじを履いてもダメージがないのだろう。マネをしてみたいが、肝心の勇気がこれっぽっちもない……。

2024-07-22

3ヵ月、5ヵ月、8ヵ月、1年の法則

 資格を取得するためのお勉強、あるいは新たなスポーツにチャレンジと未知の世界へ飛び込むケースはあるものだ。達成できる方法は、ネット上にも掲載されている。でも、秘訣は「小さく始めて大きく育てる」ということに尽きる。その方法を考えねばならぬ。

 対策はいいけど、具体的にどうすればいいのか。「アイデアマラソン」の解説本には、最初は体も抵抗するが3ヵ月目でやっと慣れてくる。そして5ヵ月目でようやく自分のペースというのが動き始めるらしく、1年を経過すれば抵抗なく進めることができるらしい。最初からいきなりペースを上げては、息切れするのは当然。いわゆる三日坊主よ。

 自分の経験上からいえることは、8ヵ月目にも変化が訪れる。頭の中に「ペースを上げろ」というような命令が浮かぶのだ。調べてみると、脳内なんとかという生理的な機能らしい。ともかく、「3ヵ月、5ヵ月、8ヵ月、1年」単位でペースを上げていくことさ。

2024-07-19

なつかしの「ブルーハワイ」

 歩きながら、あるいは立っているときなどに聞いたことは、小さなメモ帳に書いておく。近くにある白い紙を破って書き残す人も、なかにはいる。いつぞやはコンビニへ飛び込んで、メモ帳を買ったこともある。覚えておくことは、簡単にはできないものなのだ。

 大きくなく小さくなく、そして頑丈な表紙に守られているのがコクヨの野帳だろう。3ミリ方眼の「SKETCH BOOK」はメモにはもちろん、図表を書いておくことにも便利だ。ポケットに入れておいてもフニャフニャしないのがよろしい。デスク脇に置いておけば、ふと思い浮かんだことを書いておくこともできる。だから5冊も買い置きしているのさ。

 ラジオを聞いていたら、エルビス・プレスリーくんの「ブルーハワイ」が聞こえてきた。メモしておいたのはもちろん。ヒマなときに検索してみるとすぐ見つかったが、ハワイに行ったときにも聴いた記憶がない。もしかすると〝昭和の歌謡曲〟みたいなもんかな。

2024-07-18

新聞スクラップから新アイデア

 新聞を購読していても、普通の人なら単に眺める程度だろう。熱心な人ならテーマを決めてスクラップするのだが、今度はスクラップブックが何冊も溜まってくる。こうなると、人間様は〝いつかは役に立つ〟などと思い、捨てられなくなるから困りものなのだ。

 偉いオッチャンだったようだが、外山滋比古くんは古いスクラップは捨てよと述べていた。「いつか」は役に立つと思うけど、その「いつか」は彼によると永遠にやってこない確率が大きい。過去にも同じようことをBlogに書いた気もするが、こうした不安は何年かに一度は襲われる。新聞スクラップとは不思議なもので。人間心理にも影響を与える。

 なぜ、同じようなことを何回も書くのか? 大宅壮一くんの伝記を読んでいたら、新聞や週刊誌などの専門図書館である「大宅壮一文庫」のことが書いてあったので、いくつかの記憶が結びついたのだ。この結びつきこそ、新たなアイデアの宝庫らしいのだがね。

2024-07-17

ストレッチはゆっくりと

 スポーツはもちろん事務職やチビッコのお勉強においても、「ウ~ン」とうなりながら背伸びをすることがある。一般的な言葉でいうなら、ストレッチを行なっていることになるわけだ。ヨガにしたって、大昔に考え出されたストレッチと言えるにのではないかな。 

 ストレッチを簡単に実行するなら、まずは柔軟体操だ。準備体操であればランニングの前にも行なっているけど、ちょっとグレードを上げてみようと思った。やってみると体中がピキピキと悲鳴を上げ始める。これではイカンと思い、本格的なストレッチに取り組んでみることにした。でも、思うように体や関節などが動いてくれないので困ったものよ。

  長期的なトレーニングを初めから計画的に実行するなら、昔から言われている「千日行」スタイルだ。千日間、約3年弱。この期間を実行して、ようやくスタートラインに立てるわけだ。サボっている期間が長いと、再びスタートラインに立つには時間もかかる。

2024-07-16

シロウトの調査記事

 過去は東大の副学長だったらしい「黒川清」というオッサンが、「考えよ、問いかけよ」なる己の著書でいっていた。「今の時代、新聞報道が期待されるのは速報性より調査報道」と述べておる。速報性なら、そりゃネットやテレビ・ラジオなどがあるからね。
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 論文のような面倒な本だったら、こちらも買わぬし読まぬ。エッセイに毛の生えたような内容だったから、こちらも買ったのだ。結局のところ、「読者の立場からいえば、知りたいのはニュースの背景や影響などの詳報」ともいう。語る内容からは、普通の人がBlogなどネットで読まれるような内容を書くヒントが含まれているような気もするのだ。

 まずは実行だ。シロウトがデータを集めるにはキーワードによる検索、図書館といったところから探し出し、最終的には分析しなければならん。いうのは簡単だが、実行してみるとかなり面倒。面倒だからこそ価値があるのだけど、時間がかかりすぎるのも難点だ。

2024-07-15

独自のルート地図

 街探険のアイデアを出す人はいるもので、昨日の毎日新聞には手作りの地図を書くグループのことが載っていた。東京・小平市から富士山のふもとにある河口湖までBIKEで走るルートマップを作ったことがあるけど、箱根、外輪山越えはとにかく苦しかったのだ。

 新聞配達をする人たちは、配達先を地図に書き込んだ「順路帳」を持っている。現在はどうなっているのだろうと思って検索してみたら、作成機器があるようなので驚いた。新聞販売店が使うものだから、気軽な価格で買えるようなものではないのは当然。ともかくこの順路帳のようなものがポケットにあれば、見知らぬ街でも目的地にたどり着ける。

 1周して元に戻れるように順路帳は作られているので、逆ルートではたどりにくい。でもBIKEで遠くまで行くのなら、コンビニなどの休憩ポイント、高低差も「<」でマーキングするなどといった手作り地図の作成テクニックを知っておかねばならないからね。

2024-07-12

パレートの法則とオリンピック競技

 「2:8の法則」というのは「パレートの法則」だったな。この実例みたいなものを、過去から何度かBlogで書いている。世の中の現象を大きく見れば、当てはまるのだろうけれど、ミクロの分野まで注目し始めたら収拾がつかなくなるのではないだろうか。

 オリンピックがパリで開かれるが、新競技が追加されたり消えた競技もあるだろう。競技人口が少なくなれば誰も注目しないし、そんな状況を考えていたら「パレートの法則」をふと思い出したのだ。有名選手が出場するともなればテレビ中継が注目され、放映権だって高額になるのは仕方がない。人気のない競技が消えるのは当然だろうと思うのさ。

 オリンピック種目の増減は、ある人がヨーロッパの委員の意見が大きいと述べていた。世界的に競技人口が増えなければIOC委員にも注目されないだろうし、そもそも金だって動かない。オリンピック競技もパレートの法則から分析すれば面白いだろうなぁ~。

2024-07-11

資格の種類と必要性

 お仕事であちこちに行けば、その業種によって各種の資格があるものだ。国家資格ともなるとむずかしいものだが、そこはうまくできたもので、1級2級といったランク分けがある。しかし業種によっては、特定世界でしか通用しないものがあるから複雑なのだ。

 資格というものは、こちらもいくつか持っている。計算尺検定は大昔に取得したものだが、いまや計算尺どころか検定も存在していない。いや、計算尺はあるのだけど特殊な世界での専用機器だ。時代の進展とともに変化するのは当然で、とっくの昔に関数電卓だってあるし、こちらも持っている。また、パソコンにだって標準装備されているほど。

 国家資格も百花繚乱。知人のオッサンによると、何でも構わないから資格を取得せよと社命が下ったらしい。そこで簡単な資格を探し出し、教本で勉強するのは当然だが、受験してみたら高校や大学生がほとんど。いやぁ~、恥ずかしかったといっていたけどね。

2024-07-10

来年の手帳の入手計画

 チビッコが夏休みに入ったか入らぬかは地域によって異なる。そんな夏休み前であっても、文房具メーカーや出版社などでは翌年の手帳製作計画は進んでいるはず。実際には数も膨大になるので、印刷は終わり、製本や発送の段階に入っているのかもしれない。

 いま使っている手帳の場合、9月下旬になると翌年の手帳が発売される。このスケジュールから逆算して考えるなら、当然ながら製作は進んでいると思う。「3ヵ月先を見越して計画を立てよ」と言うオッチャンがいるけど、そのオッチャンが考案した手帳を使っているから気分も高まるのだ。ネット販売のおかげで、予約もできるから安心なのさ。

 書店ともなると対応が異なる。翌年の手帳は9月下旬の販売でも、A書店なら「10月から販売だ」と言われるけど、B書店だと倉庫から出してくるのだ。手帳製作がスケジュール通りに進んでいても販売側の計画があるから、やはりネット販売が伸びるものだね。

2024-07-09

寿司と分量

 テレビ番組で大食いの特技を持つ人を、紹介する番組があった。これをマネするチビッコまで出てきて、ついには死亡事故まで起こして番組は中止となる。知り合いに大食い番組で出場していた選手がいたけど、隠れた場面でトレーニングを行なっているのだがね。

 トライアスロン大会もスイムがあるので、海辺で開かれることが多い。出場する仲間数人と寿司屋へ入った時、「せっかく来たのだから上寿司でも食べたら」といわれたが、1人は「並でいいので二人前」と注文したのだった。寿司の味はともかく、この〝並で二人前〟というオーダー手法が記憶に残り、いつかは実行してみたいものだと思ったものさ。

 並で2人前という方法を実行してみると、想像以上に満腹で、かなり苦労して完食した。このとき思ったものだ。普通の人なら腹八分目の量で味わえるものであり、多めに食べる人でも大盛りの1.5人前だろう。先日、うまいと評判の店で、そんなことを思い出した。

2024-07-08

ハイパー七夕を考える

 新聞に「七夕」の用語解説が掲載されていた。「七」は7月7日の当て字らしい。「夕」は月の象徴で、昔は夜を表していたという。要するに、意味は7月7日の夜ということで、新暦や旧暦の解釈、観光業者の展開方法により面倒な期日の設定になるのだな。

 山口市の商店街では、「山口七夕ちょうちんまつり」が開かれるという、吊り下げられた数多くのちょうちんに灯がともり、写真を見ると幻想的な雰囲気をかもし出している。一方、山形県南陽市の熊野神社では1000個以上の風鈴をつるした「かなで」が開かれるらしい。風鈴の短冊には願い事を書くという。さまざまな展開があるものだなと感心する。

 クリスマスイルミネーションだって、さまざまなスタイルが考案されているのだ。現代風の七夕を目指すなら、前記の例でいえば、ちょうちんを上下に動かしたり、風鈴にLED電球を埋め込めば良い。アイデアはいいけど、金もかかる。いや、かかりすぎるか……。

2024-07-05

どちらが正しいのだ?

 ニュースはもちろんだが、それぞれの個人的なBlogなどでも新札発行の記事が満載だ。1~2週間ほど続くのではないかと見ている。新札の新たな顔となった北里柴三郎くんについて面白い記事が新聞コラムに載っていたので、つい読んでしまったではないか。

 北里柴三郎は何と読む? 「きたざとしばさぶろう」じゃないか、そんなことを言ってこいつはバカかと思われるだろう。記事によると、確かに「間違いとはいえません」が、北里大は「さ」と読ませるらしく、辞書類でも多くが「さ」なんだと。ヒィ~と驚いて大学サイトを開いたら「KITASATO UNIVERSITY」とある。大学名すら間違って覚えていた。

 こうなってくると、彼は他人様から何と呼ばれていたのだろう。しつこく検索を続ければ「さ」と「ざ」の問題は判明しようが、歴史上のことを調べるには時間がかかる。ともかく一つおりこうさんにはなったけど、知らなくたって生きていけるのが人生だよね。

2024-07-04

学習ノートというもの

 人様からトンデモ系と言われようと、その世界で有名人ともなると、思いつきはノートに書いている。作家だって、ネタが頭に浮かんでくればノートにメモしているらしい。情報関係のメルマガにも、ノートに書いておけば記憶が長持ちするというから大事なのだ。

 哲学系のメルマガ発行者が、「昔の学習ノートを読もうと思ったが、探すのも面倒」と述べていた。そうなのだ。世間でいくらノートのメリットが述べられていても、再度読み直すという行為は実に面倒なもの。過去のノートの読み直しをやってみたことがある人は分かると思うけど、書くという行動の何倍かの時間を要する。嫌気もさしてくるからね。

 何事もノートへの記録は重要だ。でも、読み直すとなると気力が必要。「アイデアマラソン」を考案した樋口健夫くんなんか、過去のノートの再読どころか再構築も行なっているらしい。だから有名になれるんだね。こちらには書くだけで、再読なんか無理な話さ。

2024-07-03

「六十六部」って何だ?

「富嶽三十六景」といえば、大ヒット作に違いない。その解説本「北斎 富嶽三十六景」を読んでいたら、「相州仲原」のページに不思議なことが書いてあった。「法華経を奉納するため全国を行脚する六十六部」も描いているらしいが、六十六部って何なのさ?

 不明なことがあればWikipediaに相談だ。それによると、六十六部とは「書写した法華経を、一部ずつ日本六十六か国の霊場に納めるために遍歴する、行脚僧」らしい。神奈川県の大山詣りも流行っていたらしく、背景には当然ながら富士山が描かれている。今ではケーブルカーもあるようで、場所柄からすれば富士山もくっきりと見えたことだろう。

 全体の構図に関して面白い解説もあった。「相州仲原」に出てくる六十六部のように、メジャーな観光スポットではなく、ちょっと外れたところに名画のネタが転がっているという。有名な観光地なら、ワザとピントを外してみるのもテクニックの一つなんだな。

2024-07-02

死蔵技術の活用策

 特許出願のことはよく知らないけれど、ともかく出願した日時が重要になることぐらいは知っている。一つの技術開発を行なうなら、中心となる技術はもちろん、開発途上に生まれた周辺技術だって大切だ。こうなると、これも出願しておくかということになる。

 企業などの技術防衛という意味では当然だろう。シロウト考えだが、周辺技術であっても何か一つの追加技術があれば新技術として認められるのかな。いわゆる「死蔵技術」であっても、その周辺には何らかのチャンスが埋もれているはずだ。温故知新という言葉のように、誰からも注目されなくなった古い技術なんかは宝の山ではないのだろうかね。

 リサーチする人は案外いるもので、ひとやま当てれば10年ほどは有名人となれる。こちらも過去に野口悠紀雄くんの著書でホームページが紹介されて、アクセス数上昇にビックリしたものだ。でも、有名になろうとしても、案など簡単に考えつくものではない。

2024-07-01

「ポケット地図帳」を持ち歩こう

 新聞のコラムを書く人物ともなれば、編集委員クラスに違いない。何を書いていたのかといえば、単に「ポケット地図帳」を持っているということ。なんと30年も前の地図帳を使い続けていて、書き込みはもちろん補修までして自分専用地図帳にしているという。

 こちらもマネしようではないか。いまはGoogleマップをプリントしているのだが、目的地に着けば、あとは用なしだ。これではいけない。地図帳を自分専用にカスタマイズしなければイカン。小型のポケット地図帳はないかと検索してみれば、すぐ見つかった。書き込みや付箋をはったり、役に立つまではたぶん2~3年以上はかかるだろうと思うのだ。

 近所の地図専門店が移転したのは良いとして、ネットで調べるとすぐ見つかった。しかしだ、行ってみるとあるべき場所で見つからないのだ。ビルの一角なのだろうが、そのあたりをウロウロしても見つからない。日曜なので休みだったのだろう。また出直しだな。